2020年3月に完成した八ッ場ダム(2023年4月29日筆者撮影)

先送りされるダム事業の工期、膨れ上がる事業費

 利根川は流域面積が日本一だ。群馬、栃木、茨城、埼玉、千葉、東京の6都県から支流を集めて、東京湾と太平洋に流れ出ている。現在の河川管理者である国土交通省が目指す利根川の治水と利水の姿は、他の河川の例に漏れず、高度経済成長期に描かれたものだ。1947年のカスリーン台風による洪水被害、1964年の東京オリンピック直前の「東京砂漠」と呼ばれる渇水。これらが二度と起きないようにすることだった。

 それから半世紀超。水需要の減少や環境保護意識など社会が変わっても、柔軟な方向転換がなされず、取り残された事業の一つが八ッ場(やんば)ダム事業だった。

 カスリーン台風を受けて「利根川改修計画」の一つとして国が調査を始めたのは1952年。水没予定地の川原湯温泉(群馬県長野原町)では多くの住民が反対。町と国が「八ッ場ダム建設に係る基本協定書」を結んだときには1992年になっていた。

 情報公開も住民参加もなく、自治体の意向すら軽視された時代のこと。国は先んじて1986年に、特定多目的ダム法に基づく基本計画で、事業費は2110億円、工期は2000年と決めていた。だが、ダム事業は「小さく産んで、大きく育てる」と揶揄される公共事業の代表格だ。その通り、国は工期と事業費を5回も変更した。2001年(工期を2010年度に)→2004年(事業費を4600億円に)→2008年(工期2015年度に)→2013年(工期2019年度に)→2016年(事業費5320億円に)と延期と増額を繰り返した。

 その間、水没予定地では、賛成と反対、地権者と借家人、男性と女性、町民と下流住民など、立場の違いで分断が生じ、言論が抑圧された。そのため、反対住民のほとんどは、メディアに登場することを今でも好まない。地域を沈黙させ、水没させただけの公益性が八ッ場ダムにはあったのか。改めて検証したい。

八ッ場ダム堤体から下流を眺め下ろすと、ダムが国の名勝「吾妻渓谷」の上流側4分の1を潰して完成したことを実感させられる(2023年4月29日筆者撮影)