「自衛隊が国民から歓迎されチヤホヤされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。言葉を換えれば、君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている。しっかり頼むよ」(『回想十年』)

 吉田氏の時代はともかく、私が現役だった1985年に日本航空ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落した際も、悪質なデマを聞いて愕然とした。「あれは自衛隊が撃ち落とした」というのだ。そんなデマが流れるのは、「悪いのは自衛隊」という先入観があってこそだ。自衛隊を悪者とみなす雰囲気は、私の家族にも及んだ。

うちの息子が不登校に

 1988年7月23日、横須賀の沖合で、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と漁船「第一富士丸」が衝突し、30人が死亡、16人が重軽傷を負った。この事故では当時の瓦力防衛庁長官が引責辞任し、1992年には、横浜地方裁判所が「双方が安全義務を怠った」として、なだしお、第一富士丸の責任者に有罪判決を下している。

 事故直後のことだ。息子が学校に行かなくなった。理由を聞くと、学校の先生から「お前のオヤジが悪い。自衛隊が悪いことをしたんだ」と言われたという。

 当時は私も海上幕僚監部で苦情電話の対応に追われていた。とにかく反論はできない。

 夜中の2時であろうと、なんであろうと、お叱りの声を丁寧にお聞きするという仕事だった。私は海上自衛隊の一員なので仕方がないが、息子までそんな目に遭っていたのかと思うと申し訳ない気持ちだった。