連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

五条大橋で弁慶に襲われ、軽やかな舞いを見せるような身のこなしでかわす牛若丸

 人と人との親密さ、絆、友情といった信頼関係は、どのようにして結ばれるのか。性的行為は人間の深い絆を構築する最も確かな一つの働きである。

 だが、セックスによって築かれた人と人との絆は、異性愛も同性愛も同じといわれている。

平清盛の情女となった義経の母・常葉

 源義経(1159-1189)は源氏六代目棟梁・源義朝(1123-1160)の九男、母は義朝の側室の九条院雑仕常磐(常葉)。

 鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(1147-1199)とは腹違いの兄弟である。幼名は牛若、仮名は九郎判官(くろうほうがん)、実名は義経といった。

 平治の乱で父・義朝が謀反人となり斬首されると、母・常葉は今若、乙若、牛若(源義経)の3児を連れて平氏の追及を逃れようと大和(やまと)国(奈良県)に隠れた。

 常葉は艶やかで、温良にして淑徳、美麗なる貴婦人であった。

 歌舞伎『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』(一条大蔵譚(ものがたり))に登場する常葉は、立(たて)女方(おやま)の役どころでもある。

 源義経とその主従を中心に書いた軍記物語『義経記(ぎけいき)』によれば、端整な面立ちから匂い立つような高貴さを醸し出す常葉に、邪(よこしま)な野望を抱いた平清盛(1118-1181)が「自分の妾になれば子供の命を助ける」との狡獪かつ姦悪な文を寄こした。

 常葉は、わが子を守りたい、また平氏に捕らえられた母を助けるために清盛のいる六波羅(ろくはら)に出向き、夫・義朝の敵(かたき)・淫鬼の「生贄」となった。

 時として、人は生きるために恬淡(てんたん)となれるものなのだろう。

『平治物語』によれば、清盛の情婦となった常葉は、後に女児を産んだと伝えられる。

 常葉はその後、一条大蔵卿・藤原長成に嫁ぎ、長成との間に嫡男・能成と女子一人を設けている。