中国の習近平国家主席。1月18日、その名を冠した「習近平経済思想研究センター」の発足式が行われた(写真:新華社/アフロ)

 中国国務院(中央政府)で、「発改委」(ファーガイウェイ)と略称で呼ばれる中国国家発展改革委員会の復権が、着々と進んでいる。

 この官庁、日本や欧米にはカウンターパートが存在しない。なぜなら、社会主義特有の官庁だからだ。

「発改委」の前身は、1949年の新中国建国の3年後、1952年に設立された国家計画委員会だ。毛沢東(もう・たくとう)政権は、ソ連型の社会主義計画経済システムを導入し、計画経済の司令塔となる官庁を作ったのだ。

 初代の主席(大臣)を務めた高崗(こう・こう)は、1952年2月に毛沢東主席との権力闘争に敗れて失脚。同年8月に自殺している。享年49(一説に48)。

 それでも毛沢東時代は、「計画経済の司令塔」として、絶大な権力を握った。いわゆる「官庁の上の官庁」であり、日本で言えば、全盛期の大蔵省と通産省を足し合わせたような存在だった。

「改革開放」で逆風にさらされた計画経済の司令塔

 だが鄧小平(とう・しょうへい)時代に改革開放が進み、とりわけ1992年の第14回中国共産党大会で社会主義市場経済が採択されると、「国務院の盲腸」と呼ばれ始めた。市場経済を採択したのだから、「計画経済の司令塔」は不要となったのだ。私の知り合いのエリート官僚も、傘下に作った旅行会社に飛ばされてしまった。