炎上する真珠湾上空を飛行する九七式艦上攻撃機(Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

(朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)

 コロナとオリンピックにかき消されがちでしたが、8月は先の大戦における敗戦の月であり、色々と考えさせられます。今年は、開戦から数えてみるとちょうど80年です。ちょうど区切りのいい年でもありますし、戦争の悲惨さに思いを馳せ、「真の安全保障」を図るためにも、今回はまず開戦の状況について考えてみたいと思います。

「追い詰められて開戦」は今後も想定し得る事態

「開戦に至る状況について」などと言うと、「いやいや、当時の日本は、陸軍や海軍から総理大臣を輩出する軍事国家だった。現代の日本は憲法9条があるし、軍事的組織としてはシビリアンコントロールされた自衛隊があるだけで、全然体制が違う。参考にならないんじゃないの」と思う人もいるかも知れません。

 確かに1941年の開戦は、陸軍出身の東条英機首相の下、日本がアメリカに真珠湾攻撃をしかけて宣戦布告という流れですから、軍部主導で戦争に突っ込んでいったようにも見えます。ただ、視点を変えれば日本は「追い込まれて」開戦したとも言えるのです。

 満州を足掛かりに中国まで権益を拡大していった日本に対して、当時の欧米列強、特にアメリカは危機感を募らせていました。そのため当時のアメリカは盛んに日本の動きを抑えにかかっていました。1939年には日米通商航海条約の破棄が通告されます。翌年には、武器・軍需品の対日輸出の許可制、鉄屑・鉄鋼の対日輸出禁止を決めます。極めつきは1941年の対日資産の凍結と石油輸出の全面禁止です。