卒業証明書のほうは、左下のスタンプの鷲のマークと上部にある「カイロ大学」という文字は読めるが、スタンプの下部にある部署名が判読不能である。またそれにくっ付くようにして逆さに押されているスタンプは「クッリーヤ(学部)」の文字は読めるが、何学部かは判読不能である。この点は、2人のエジプト人に見せたが、やはり「読めない」との回答だった。小池氏に関わる敬称・動詞・形容詞・人称代名詞がすべて男性形で書かれているのは従来から指摘している通りだ。学部長のサインもこの年度の文学部の卒業証明書にあるサインと異なっている。これらについても、小池氏は説明する必要があるだろう。

 さらに卒業したことをより積極的に証明できるはずの成績表をいまだに公開していないのも不思議である。

 小池氏は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで卒業証書類を公開したようだが、それらの真贋や有効性にはなお数多くの疑問が残る。

学業実体の有無という別の問題

 従来から、小池氏の学歴詐称疑惑には2つの問題があることを指摘してきた。1つは偽造私文書行使の疑いで、これは前記の通り時効とは言え、『振り袖、ピラミッドを登る』の扉に使用した卒業証書は特にその疑いが強い。

 2つの目の問題は、公職選挙法の虚偽事項公表罪の疑いだ。いくらカイロ大学が卒業を認め、卒業証書類を持っていたとしても、学業の実体がなければ、学歴とは認められない。エジプトではカネやコネでいくらでも学位や卒業証書類を手に入れられる。小池氏は父親をつうじて、ハーテム副首相とのコネも持っていた。

 この点に関しては『女帝 小池百合子』に、小池氏はカイロ大学を卒業していないという、カイロ時代の同居人女性の証言が59ページにわたって詳述されている。論旨は一貫しており、物的証拠もある。小池氏はこれに対し、反論も釈明もしていない。

 また、(1)あったはずの卒論をなかったと言う嘘、(2)「首席で卒業した」「トップの成績と言われた」、「1年目で落第したが4年で卒業した」、「1971年(存在しない)カイロ・アメリカ大学・東洋学科入学(翌年終了)」、「何度も卒業証書を公開した」(都議会答弁)、「卒業証書類を、複数のアラブの専門家が判読し、本物と認めた」(同)等々、卒業や証書に関する多くの嘘、(3)「とてもよい面会」を「とても美味しい面会」と言い間違える「お使い」レベルのアラビア語、などを考慮すれば、学業実体があったと信じるのは困難である。

 小池氏はこれらの疑問点に関して、ダンマリを決め込んでいる。都知事選に出馬するなら、物的証拠にもとづき、自らの口で説明すべきだろう。ダンマリを決め込んでいる限り、疑惑が晴れることはない。今回、卒業証書類を公開したが、小池氏がやっていることは「卒業証書も卒業証明書もある。カイロ大学も卒業を認めている」というこれまでの態度と何も変わっていない。頑なに説明を回避しようする姿勢は異様である。