「企業は顧客に合わせて変化しなければならない」。多くの読者は、この意見にうなずかれるでしょう。
しかし、あまりに変化が早いと、どうあがいても変化できないこともあります。典型例がポケベル業界でした。
ポケットベルは1990年代初頭、ユーザー数の急速な拡大に設備が追いつかず、トラブルが続出し、多くのクレームがつきました。ポケベル各社は、顧客の要求に対応するために設備投資を繰り返していました。
そうした投資によって、やっとユーザーからのクレームが減っていきます。さあ、これから収益を上げる体制に持っていこうという矢先の96年頃、携帯電話が1円で売られるようになりました。
ユーザーはポケベルよりも携帯電話を選び、ポケベル各社は急速に売り上げを落として破綻します。
時代の変化に対応しようにも、あまりに変化が早く、対応する時間がなさすぎました。ポケベル会社の経営者に上記のようなセリフを言うのは、私には酷に思われます。
農村と官僚の前に立ちふさがった私有財産制度
農林水産省は、官庁の中でもあまり評判がよくありません。戦後の農業政策はことごとく失敗しているというのが定評で、農業政策のことを「ノー政」と揶揄されることもあります。
こうした農水省のイメージは、農業予算が大量につぎ込まれているのに農業の産業的地位が低下するがままになっていることにあるでしょう。
そうした認識が間違っているとは言いませんが、私はむしろ、能力以上の仕事を強いられた「悲劇の官庁」と言った方が正確ではないかと思います。
なぜそう思うのか、戦後の農水省の歴史を追っていきましょう。
戦後日本の農政上最大の変化は農地改革です。戦前の農村には土地を所有していた「自作農」と農地を借りて耕していた「小作農」がいました。自作農の規模は様々でしたが、山形県の本間家を代表とする大土地所有者もかなりありました。