2010年3月26日午後9時22分頃、韓国の哨戒艦「天安」(1200トン級)が、北方限界線(NLL)付近の白リョン島近海で突然原因不明の爆発事故を起こし、船体が真っ二つに折れて沈没するという事件が発生した。
乗組員104人のうち46人の死亡・行方不明がその後確認されている。その原因と背景については、様々な見方がなされている。
朝鮮半島情勢は後継体制への移行、経済困難、核とミサイルの開発を巡る国際社会との軋轢など、不安定な要因を抱えており、今後さらなる不測事態の発生も予想され、日本の安全保障に及ぼす影響は重大である。
本論では、公開情報に基づき、事件発生後の原因究明の経緯と北朝鮮が攻撃に踏み切った理由とその背景、米韓の対応と日本への影響について分析する。
1.北朝鮮攻撃説に当初慎重姿勢を取った韓国と米国
原因について当初は、艦艇内部での爆発説、機雷との接触、艦艇の疲労による沈没など様々な見方が伝えられた。
もちろん北朝鮮による攻撃説も唱えられていたが、爆発当時に北朝鮮艦艇がレーダに捕捉されていないことや、現場海域の水深が浅く潜水艦が侵入するのは困難などの理由から、攻撃説は有力な見方ではないとされていた。
3月27日、韓国軍合同参謀本部も「正確な原因は艦艇の引き揚げ後に判断する」との方針を明らかにするなど、抑制的姿勢を取っている。李明博(イミョンバク)大統領も事故発生当初は、原因究明を優先するとして、北朝鮮を名指しで非難することはしていない。
なお北朝鮮側は、3月31日に初めて経済団体関係者が、北朝鮮側の関与を否定する発言を行っている。
ただし、事件発生当初から、北朝鮮の潜水艦による攻撃を示唆するような事象も一部には伝えられている。例えば、「天安」の近くにいた別の哨戒艦が「天安」の沈没直後に射撃を実施したと報じられている。
軍当局は、鳥の群れに向けて射撃したものと説明していたが、何らかの不審な行動を取る目標に対し、僚艦がただちに射撃したものと解するのが自然であろう。
その意味で内内では韓国軍側も当初から、北朝鮮の潜水艦による攻撃の可能性が高いと判断していたのではないだろうか。
しかし性急に北朝鮮による攻撃と決めつけるわけにいかない事情が、韓国側にも米側にもあった。
当時米バラク・オバマ政権は北朝鮮の核開発を阻止するため、6カ国協議を再開することを対北朝鮮外交上の最優先事項としており、北朝鮮を名指しで非難すれば協議再開の可能性は遠のき、朝鮮半島の緊張を掻き立てることになりかねないとの懸念があった。
また、李大統領も、対米関係上また6カ国協議など安全保障上の重要課題への影響を考慮すれば、明確な根拠がない限り北朝鮮を名指しで非難することは避けたかったのが本音であろう。
経済人出身の李大統領としては、外資、外需依存の韓国経済にとり、北との緊張関係の激化を示唆する事案が生起したことを国際的に印象づけるのは、できる限り避けたいとの思いもあったかもしれない。
内政上は、仮に北朝鮮による攻撃とした場合には、韓国政府と軍に対する責任追及も免れない。事件発生前後の韓国軍側の態勢や対応行動については、その後もほとんど公表されていない。
本来ならばその実態が明らかにされ、「天安」がいともたやすく沈没し46人に及ぶ乗組員の犠牲者を出したことに対する責任問題が問われなければならないはずである。
しかし、李政権としては6月2日の統一地方選挙を控える微妙な時期に、沈没の責任問題が問われるのは避けたかったであろう。そのためには、原因究明に時間をかけ、世論が沈静化するのを待つ必要があった。
なお、統一地方選挙では予想に反し与党が大敗北を喫した。韓国民の意識は、「天安」事件があったにもかかわらず、安全保障上の危機に備えるよりも、緊張激化を避けようとする野党の融和策への支持に傾いたのであった。
5月20日に北朝鮮の攻撃が原因との最終報告が公表され、5月24日に韓国側が前線地帯での対北朝鮮宣伝放送再開を発表した。それに対し北朝鮮が直後に、「(宣伝放送を行う)スピ―カーを撤去しなければ直接射撃を開始する」と警告し、一触即発の事態も予想されていた。
さらに選挙直前には、ツイッターなどを通じて李政権の対北強硬姿勢に対する不安が急速に無党派層に広がった(2010年6月9日「読売新聞」(東京朝刊、外A面))とされている。
このような状況に至ったことは、結果的に、李政権が早期に北朝鮮の仕業と決めつけるのを回避したのは、賢明な判断であったことを裏づけている。
これらの外交上また内政上の理由から、「天安」沈没に関する原因究明は即断を避け、時間をかけて慎重に行われたとみられる。
特に、韓国のみの調査結果では北朝鮮側のプロパガンダに十分対抗できないとみて、国際的な調査団を結成し、物的証拠を固めた後に国連など国際社会に北朝鮮による攻撃であると表明し、国連安保理の制裁を要求している。
また、北朝鮮制裁に慎重姿勢を取ると予想された中露両国に対しても、専門家を招きあるいは説明を尽くすなどの対策を取っている。これらの李政権の外交的根回しと広報戦略は評価できよう。
また「天安」攻撃については、簡単には阻止できない、やむを得ない面もあった。現場付近は水深約45メートルの浅い海であり、海底地形が複雑で潮流も速く、ソナーによる探知距離も外洋と異なり制約される。
小型潜水艦や潜水艇の侵入や潜伏を発見するのは容易ではない。半面、水深が浅すぎて魚雷攻撃も困難と見られていた。しかし、攻撃を許したことは紛れもない事実である。
この点から見れば、哨戒艦側や韓国海軍にも、待ち伏せ攻撃を可能にするような弱点または油断があったことは否めない。
北方限界線近海とはいえ潜水艦の侵入を許したこと、また待ち伏せを発見できなかったことは、韓国軍全般の対潜作戦の不備を物語っている。
「天安」も待ち伏せを可能にするような一定の行動パターンを取っていたのではないだろうか。また、海中や洋上に対する警戒体制にも隙があったと言えるであろう。
これらの問題点を改善するための対潜作戦、特殊部隊の侵入阻止、洋上に対する実弾射撃などの訓練については、事件後実施された韓国軍の演習や、8月25日から28日の日本海での米韓共同実動演習でも重点的に訓練されている。
特に過去最大規模となった8月の米韓共同実動演習は、米空母「ジョージ・ワシントン」、最新鋭ステルス爆撃機「F-22」も参加して行われ、韓国軍高官は、「多様な訓練が実戦形式で行われ、奇襲や全面戦争に備えた陸海空の全方位的な防衛体制が確立された」と述べている。
特に、北朝鮮が再び挑発行動に出た場合、航空戦力が北朝鮮基地を爆撃するための空対地訓練も含まれ、F-22を初めて投入した航空機編隊の実射訓練や、米韓では異例の空中給油訓練も行われた(2010年7月29日付「読売新聞」(東京朝刊、外A面))。また初めて自衛官4人が同演習を視察している。
韓国海軍に油断があった、あるいは訓練水準が低かったということで、他人事と捉えるのは誤りである。
日本近海でも工作船が過去何度も出没しており、日本領海内への北朝鮮小型潜水艦の潜入事案も当然予想される。日本も他山の石として、この種事案の未然防止に万全を尽くさねばならない。