英国女王と比較すべきかもしれない

 カトリックの影響圏は、16世紀の第1次グローバリゼーションの波にのって軍事力と手を携え合って全世界に拡大している。チベット仏教は中国共産党による制圧で脱出を余儀なくされて世界に拡散した。だが、天皇の権威や影響力が日本列島を越えて広がることはなさそうだ。

 この点から考えると、おなじ島国の英国の国王(女王)が、日本の天皇に似ているかもしれない。英国国王(女王)は、英国国教会(正確にいうとイングランド国教会=Church of England)の首長(Defender of the Faith:直訳すると「信仰の擁護者」)である。英国国教会の影響力は、国王(女王)が元首を務めるアングロサクソン圏を超えて広がることはあまりない。

 英国国教会は、16世紀にローマ教皇庁から離脱し、独立した教会となったが、教義や儀礼体系はカトリックとよく似ている。ある意味では、英国(より正確にいえばイングランド)限定のミニ・カトリック教会といっていいだろう。教義内容の違いというよりも、政治的な動機に基づいた離脱であった。

 カトリック教会が普遍を標榜するのに対して、英国国教会は広い意味でのキリスト教ではあるものの、英国およびアングロサクソン圏に限定された宗教である。この点が、ある意味では日本限定の神道と似ていると側面もあるといっても言いすぎではないだろう。

 ただし、天皇が神を祀る祭司であると同時に神の子孫でもある点は、英国国王(女王)とは異なる点である。天皇家の祖先神は天照大神(あまてらすおおみかみ)とされているが、現在の英国王室の祖先は神ではない。これは根本的な違いである。細かく比較していくと、共通性があるといっても、その範囲は限定されてしまうものだ。

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 以上、天皇とローマ教皇、ダライ・ラマ、そして英国国王(女王)と比較を試みてみたが、それぞれ共通する点もあれば、まったく異なる点もあることがわかる。

 とはいえ、長くつづいてきた制度というものはすべて、外部環境の変化に対応してみずからを変革してきたからこそ、生き延びてきたのである。天皇のあり方も時代の変化とともに変革すべきことは変革すべきであるが、また一方では絶対に変えてはいけないものもある。

「即位礼正殿の儀」が行われる本日は、日本国民として奉祝するのはもちろんのこと、天皇のあり方について、いろいろな角度から、あれこれ考える機会にしていただきたいと思う。広い視野で比較検討してみるのは、1つの方法である。