田植え。日本の原風景のようにも見えるが、稲作やそれに伴う儀式は稲が伝来してからのもの。

 平成から令和へ、新時代の幕開けだ。新天皇の即位に伴う宮中祭祀が続き、秋には大嘗祭(だいじょうさい)が控えている。こうした宮中祭祀に深く関わるのが「米」である。私たちが米に対して敬虔な気持ちを抱くのはなぜなのだろうか。

儀式につきものの米

 今年11月に行われる予定の大嘗祭は、天皇が即位後初めて行う新嘗祭(しんじょうさい)で、一代に一度しか行われない大きな儀式である。

1914(大正3)年発行『御即位及大嘗祭』(赤堀又次郎著、大八洲学会出版)における大嘗祭の図。(所蔵:国立国会図書館)
拡大画像表示

 新嘗祭は稲の収穫を祝う祭祀であり、初穂を神に供え、それを一緒に食べることにより天から稲がもたらされたとする神話を実践するもの。その年の新米を天照大御神(あまてらすおおみかみ)や祖先に供え、五穀豊穣や平和を願う。またお供え物には米のほか、酒や餅など米から作られたものが並ぶ。

 天皇制は、神道と密接につながっており、天皇は宗教的な儀式を行うことが求められる。神道は日本人の暮らしから生まれた信仰である。人々は農耕や漁労などを営み、自然と関わりながら生活してきた。自然は恵みを与えてくれる一方で、自然災害などの猛威を振るう。さまざまな自然現象に力を感じ、人々はあらゆる自然を神として祀ってきた。

 そして、大和朝廷による国土の統一にともない、こうした神々への信仰の形が整えられ、6世紀に仏教が伝来したときに、仏教に対して神道と呼ばれるようになった。神道は稲作との関わりが深く、ほとんどの儀式が稲作や農耕に関係している。皇居の中にも水田があり、天皇が田植えや稲刈りを行い、収穫した米は祭祀に使われている。