大学における「一般教育」はどのようにして始まったのか。

(児美川 孝一郎:教育学者、法政大学キャリアデザイン学部教授)

 大学教育をめぐる議論において、最近ではめっきり聞かなくなってしまった言葉に、「教養」あるいは「教養教育」がある。日本の大学教育にとって、教養とはいったい何だったのか。大学における教養教育は、今どんな状況にあり、今後どうなっていくのか。このことについて、考えてみたい。

 なぜ、いまさら教養教育なのか。

 近年の大学改革のめざす方向は、「社会的ニーズ」という装飾を借りつつも、結局のところは、産業界の要望に見合うような人材の育成を、いかに効率的・効果的に進めていくかといった点に収斂しがちに見える。そうした状況だからこそ、今あらためて、日本の大学制度の「原点」に存在したはずの教養教育について、その意義や可能性、あるいは限界を確かめておくことは、けっして無駄な作業にはならないと思うからである。

新制大学の誕生

 ここでの議論に必要な限りで、ごく簡単に日本の大学の歴史を振り返っておこう。

 戦前の旧学制において、高等教育レベルの教育を提供していたと見なせる教育機関は、大学、大学予科、高等学校、専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、師範学校、青年師範学校と、実はきわめて多岐かつ多階層にわたっていた。しかし、戦後教育改革は、6・3・3・4制の単線型の学校制度体系を採用したため、戦後、これらの旧制の高等教育の諸機関は、すべて新制「大学」へと改編された。

 したがって、新制大学のうちには、旧制の高等学校や専門学校、師範学校のように、大学へと「昇格」した教育機関もあれば、旧制大学のように、他の教育機関と同等のレベルへと「降格」した(旧制大学は、すべて新制の大学院を併置することになったとはいえ)教育機関も存在している。しかし、これらはすべて、同格の新制「大学」となったのである。そして、この新制大学は、旧制の時代の学校種の特徴にかかわらず、すべて「教養課程」と「専門課程」を併せ持つ高等教育機関となった。