ドイツ・ミュンヘンの中心部

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 先週の4月1日、新しい元号が「令和」であると正式発表された。「平成」もすでにあと残り3週間を切っている。新しい時代の幕開けに向けて、多くの人が期待と不安を抱いて見守っていることだろう。

 4月末日の今上天皇退位と5月1日の新天皇即位という公式行事が立て続けに行われるため、統一地方選が2回に分けて前倒しで4月に行われることになった。だが、一部の地域を除いては、いまひとつ盛り上がりに欠けているのは否定できないところだ。

 政治への関心が低いのは問題だが、かといって尖鋭化し過ぎるのも問題だろう。現在の日本は全般的に政治的関心が高くないようだが、国政であれ、地方政治であれ、選挙の投票行動を通じて国民の「民意」が正確に反映されることが望ましい。もちろん、自由意志によって投票しないことも「民意」の示し方であることは否定しない。

 現在、全世界的に議会制民主主義が機能不全を来している印象がある。国民投票がもたらした「ブレグジット」(=EU離脱)騒動を巡って迷走を続ける英国や、「ロシアゲート」をからくも回避できたトランプ大統領の米国がその代表だ。また、ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領などの強権的政治家も民主的な手続きによって生み出された。米国の民主党内では、トランプ大統領への対抗勢力として「社会主義」を掲げる政治家が若年層の支持を拡大しているという。

 選挙制度そのものが機能不全状態なのか、「民意」そのものに問題があるのか、あるいは双方に原因があるのか、なんとも決めがたいものがあるが、世界全体が流動化し、激動の時代を迎えている現在、改めて「政治」について考える必要があるのではないだろうか。

 そのためには、回り道ではあるが、今こそ政治学の古典を読んでみることが必要だ。

『君主論』は「民主主義」以前の政治学

 政治学の古典といえば、まずイタリア・ルネサンスが生んだ天才マキャヴェッリの『君主論』を挙げなくてはならないだろう。

 15世紀から16世紀にかけて生きたマキャヴェッリの時代のイタリアは、小国に分裂した状態であった。この本は、周辺のフランスやスペインといった大国からの脅威をいかに回避し、小国フィレンツェが生き残るかを考察した内容だ。

 現在の日本が大国か小国か議論が分かれるところだが、米国とロシア、それに中国に囲まれた日本を小国と考えれば、生き残りのためにマキャヴェッリから学ぶべきもの多い。もちろん、国家以外でも企業や、個人の生き方にも応用可能である。