北方領土返還に反対、モスクワで数百人が抗議

ロシアの首都モスクワで、日本への北方領土返還に関する協議の中止を求め抗議デモを行う人々(2019年1月20日撮影、資料写真)。(c)Alexander NEMENOV / AFP〔AFPBB News

(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)

 1月27日の「サンデーモーニング」(TBS)を見ていて驚いた。評論家の寺島実郎氏が北方領土問題の解説を行ったのだが、その際、使われた地図の表記があまりにもデタラメだったからだ。

 寺島氏は、まず歴史を踏まえて1855年、江戸幕府がロシアとの間で日露通交条約を結び、得撫島(うるっぷとう)から以北がロシア領となり、国後島と択捉島が日本領となったことを説明した。これはその通りである。問題は寺島氏が示した地図には、得撫島以北が千島列島とされていたことだ。

 続いて寺島氏は、1875年に得撫島以北の島(寺島氏によれば、これが千島列島)は日本領に、樺太はロシア領とする千島・樺太交換条約が結ばれたことを説明した。寺島氏の説明で一貫していたことは、国後と択捉が千島列島には含まれないとすることであった。

印のついた島が得撫島(うるっぷとう)(出所:Wikipedia)
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歴史の事実を正直に語らない日本のメディア

 実は、外務省も「そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません」と説明している(「日本の領土をめぐる情勢 北方領土」)。国後も択捉も千島列島ではないというのだ。だが、国後と択捉が千島列島を構成する島であり、南千島であることはあまりにも常識的なことである。

 サンフランシスコ講和条約が調印された際、当時の吉田茂首相は、「千島南部の2島、択捉、国後」などと発言している。西村熊雄・外務省条約局長は国会答弁で、「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております」と述べている。北千島とは得撫島以北のことであり、南千島とは国後と択捉のことである。