これを見て思い起こすのは、1995年に日本のヤオハンが上海・浦東に開業した「ネクステージヤオハン」だ。当時、何もない浦東に出店したヤオハンに、日本のマスコミや小売業界はは「大丈夫か」と懐疑的だった。だが、ヤオハンは「これからは中国の時代」と豪語し、先陣を切って進出した(結局ヤオハンは1997年に経営破綻)。

 ハノイのロッテセンター・ハノイの地下には食品スーパーの「ロッテマート」がある。週末に訪れてみたところ、買い物客で大混雑していた(冒頭の写真)。在住の韓国人向けの輸入食材を充実させ、品ぞろえも豊富だ。韓国人のみならず地元富裕層にも支持されているようだ。

 ロッテマートでは、万引き防止のため、手荷物をロッカーに入れなければならない。財布とスマホを入れた小さなバッグでさえも、ビニール袋に入れ、がっちりとホチキスで封をされる。これも90年代後半の上海を彷彿とさせる。住民が豊になった上海では、今は見られない光景だ。

上海のデパートもかつてはガラガラだった

 一方、ロッテセンターの地上階(百貨店フロア)は閑古鳥が鳴いていた。とりわけ婦人服のフロアはガラガラだった。

 これもかつての上海とまったく同じ光景だ。90年代後半、上海・徐家匯のデパート「太平洋百貨」も外国人ぐらいしか買い物客がいなかった。2004年に香港から進出した「久光百貨」(元そごう)も、当初フロアはガラガラだった。だがほどなくして、久光百貨は上海の新興富裕層で賑わうようになる。

 ハノイでは、日本人がピザ屋を開業して人気店になったり、ハリーポッターをテーマにした喫茶店ができたり、続々と新スポットが出現し、街の雰囲気も都会的になりつつある。これから何かが始まる、そんなワクワク感がハノイの街にはある。市民の消費力が高まるのも時間の問題だろう。

 振り返れば、上海の経済は急速に膨らみ過ぎた。地価や人件費が高騰し、企業の事業継続が困難な状況にまで到達してしまった感がある。

 日本から上海に進出するのは、手探りで事業を進める、「国外は初めて」という企業が多かった。そのため、撤退するにあたって、積み残した課題に忸怩たる思いを抱く日本人経営者も少なくない。こうした日本人経営者の一部や「海外は二度目」という駐在員が、現在ベトナムに向かっている。新興国の発展パターンには共通項が多いので、先を読める彼らのアドバンテージは大きい。きっと中国での経験を基に次々とサクセスストーリーを生み出すはずだ。

「海外は二度目」という駐在員も増えている。日本のサムライたちの新興国でのチャレンジに期待したい。商機は“アジア的混沌”の中にある。