ロシアのプーチン大統領が11年ぶりに来日し、5月のソチでの首脳会談で安倍首相が提案した「8項目の経済協力」に沿った事業の具体化で合意した。
民間を含む日本側の経済協力の総額は3000億円規模になる見込みである。その中で筆者が注目したのは「エネルギー」の項目、特にサハリン~北海道間の天然ガスパイプラインについての合意だ。
動き出し始めた「パイプライン」プロジェクト
露「インターファックス」(12月16日付)は「15日、山口県長門市で開催された首脳会談のワーキングディナーで、両首脳はサハリン~北海道間の天然ガスパイプラインの建設プロジェクトへの相互の関心を確認し、経済主体のレベルで同プロジェクトの詳細な検討を活発化する(フィージビリティスタディを実施する)ことで合意した」と報じた。翌17日付の露「コメルサント」も、来日したガスプロムのミレル社長の「ガスパイプラインについては議論が進んでおり、近い将来(日本側からの)交渉を受けることになるだろう」とのコメントを伝えている。
プーチン大統領もパイプラインについてのフィージビリティスタディ合意について共同記者会見で触れた。だが、日本の大手メディアはこれについて一切報じていない。日本側のガスパイプライン建設の主体がいまだ決まっていないため、日本政府がこの合意をメディアに対し明示的に説明しなかったからではないかと推察されるが、日本国内でこの事実がほとんど知られていないのは、残念でならない。
確かに日本側の主体は確定していないものの、「サハリン地域からパイプラインで供給される天然ガスを利用して、北海道内で幅広く分散型熱電供給網の整備を図る」事業に関心を示す大手企業も出てきている。
パイプラインが敷設される北海道の沿線都市(旭川市や札幌市など)で熱電併給(コ・ジェネレーション)事業が実施されれば、北欧並みの快適な生活が実現できる。これにより、北海道経済の潜在力(観光や酪農業など)を引き出し、地域の発展に大きく寄与することは間違いない。ロシア企業の参加が実現すれば、日本国内における「日ロ合弁事業」のパイロットケースになるだろう。
ロシアから日本に輸出される天然ガスは、今のところ全体のシェアの約1割だが、パイプラインが完成すればその比率が高まることになるのは言うまでもない。
東シベリア産原油が日本に?
原油の分野でも、日本のエネルギー政策にプラスとなる成果があった。
首脳会談直前の12月14日、日本の「石油天然ガス・金属鉱物資源機構」(JOGMEC)は「ロシアの石油会社(イルクーツク石油)と共同で、早ければ今月中にも東シベリアの油田で原油の商業生産に乗り出す」ことを発表した。
JOGMECは2003年1月の日露首脳会談の合意に基づき、2009年5月からイルクーツク石油と共同で資源探査を開始し、2013年から伊藤忠商事や国際石油開発帝石)も加わり試験的な採掘を行ってきた。その結果、十分な原油埋蔵量が存在することが確認できたことから、ロシア政府の承認を得て商業生産を始めるのである。
ロシアから日本に輸出される原油は全体のシェアの1割弱、そのほとんどが東シベリア・太平洋石油パイプライン(ESPO)で輸送される西シベリア産原油である。もしもイルクーツク地域の油田が商業生産を開始すれば、初めて東シベリア産原油がESPOで日本に輸出されることになる。
これにより、東シベリア地域での探鉱活動が活発化することも予想される。今回の首脳会談の合意が追い風となって、油田の商業生産に伴う日本からのインフラ関連製品の輸出が増加する可能性もある。
パイプラインが強化する経済協力関係
パイプラインによりロシアからの化石燃料の輸入が増加することは、化石燃料の中東地域への依存度が高い日本のエネルギー安全保障に大きなメリットがある。
そして、その効果はエネルー安全保障にとどまらない。
日露が「パイプラインでつながる」ことは、両国の経済全体のレベルを大きく押し上げる効果も見込まれる。ドイツとロシアを結ぶパイプラインの例を見てみよう。
1970年代初頭の西ドイツ(当時)は、東方外交(東ドイツを含めた東欧諸国との関係正常化を目的とした外交政策)や化石燃料の中東依存脱却の観点から、自国のパイプラインの技術と引き換えに旧ソ連で産出される天然ガスをパイプラインで輸入する決定した。このパイプラインは「ドイツの再統一」をはじめ、旧ソ連と西欧諸国との間の冷戦終結に大きく寄与したと言われている。現在、ドイツは自国で消費する天然ガスの3分の1以上をロシア産天然ガスに依存している。
日本の中小企業に比べて輸出比率が高いドイツの中小企業にとって、ロシア市場は格好の輸出先になっている。EUの経済制裁以降、ロシアへの輸出額が大幅に減少しているため、ドイツの中小企業団体は政府に対して経済制裁の緩和を強く要求し続けている。そのことは日本ではあまり知られていない。
このようにパイプライン建設から40年が経った現在、ドイツとロシアとの間の経済関係は非常に緊密になっている。その礎を築いたのはパイプラインだったのである。
領土問題は「ソフトボーダー」で解決を
日露首脳会談では「北方領土返還」に大きな注目が集まったが、「北方四島での共同経済活動」についての合意もあった。日露両政府は年明けにも水産加工をはじめとする具体的な協力案件や活動形態について交渉を開始する見通しである(12月19日付毎日新聞)。安倍首相は18日のフジテレビの報道番組で「世界でもあまり例にないことをやる。ロシア法にも日本の法律にもよらない新しいものを作る」と強調した。
果たして北方領土を取り戻すことは可能なのか? 筆者は、伊勢崎賢治東京外国語大学教授が主張する「ソフトボーダー(やわらかな国境)」という考え方が有効であると考えている(参考:『日本人は人を殺しに行くのか』伊勢崎賢治著、朝日新聞出版)。
ソフトボーダーとは「領土を双方で防護し合うのではなく、両国の協力で管理する国境」のことを指す。国境は実効線ではなく帯状の一定の地域と捉え、そこに昔から昔住んでいた住民がビザなしで行き来できるようにすることだ。国境が持つ排他的なイメージを変え、両国で共有する場という発想である。
日本ではあまりなじみのない考え方だが、ロシアとノルウェーとの間で実現した例がある。
バレンツ海と北極海にまたがる広大な海域(約17.5万平方キロメートル)は、冷戦時代からソ連の弾道ミサイル潜水艦配置の要である上、原油や天然ガス、漁業資源などが豊富なこともあり、この海域を巡って両国は激しく対立していた。しかし2010年4月に両国首脳が「係争海域をほぼ2等分し、共同開発する」ことで基本合意した。そして、今回の日露首脳会談が実施された2016年12月に、両国政府は「バレンツ海域の国境付近で原油・天然ガス開発に向けた資源探査を共同で行う」ことに合意し、ソフトボーダーによる解決方法が有効であることを証明した。
簡単な方法ではないことは明らかだが、北方領土の返還がきわめて困難な現状を鑑みると、日本とロシアもこのアプローチでの解決を検討すべきではないだろうか。
ロシアは資源輸出の競争力を強める方が合理的
ロシアは、資源価格が高騰していた時期は資源売却収入を財源に公共投資主体の成長を続けてきたが、2014年後半以降この成長モデルは通用しなくなっている。そこで、ロシア政府は現在「脱・資源輸出依存」を模索し、製造業を育成しようとしている。
しかし資源依存型の経済は本当に「悪」なのだろうか。
OECD加盟国の過去30年の経済成長を調べてみると、最も安定成長を遂げているのは豪州経済である。農産物や鉱物資源の輸出に依存していても、品目のバランスがとれていて、供給能力が高ければ問題は少ないと言うことだろう。豪州経済の成功を見ると、ロシアは苦手の製造業を追いかけるより、資源輸出の競争力を強める方が合理的に思えてくる。
ロシアの極東・東シベリア地域は大きな可能性を秘めているが、「輸送インフラの整備」という課題を抱えているため、短期的な視野では豪州のような成長モデルとなるのは困難である。
ロシア側が投資環境の整備を真摯に進めることで、需要国(日本)と供給国(ロシア)が相互に依存するような関係を構築できる。これは日本にとっても、ロシアが資源の安定輸入国であるばかりか「インフラの大輸出先国」となることを意味し、日本の北に「第2の豪州」が誕生すると言っても過言ではない。
「ロシア経済」という含み資産を活用せよ
2017年の世界経済は、トランプ新政権の経済政策(トランポノミクス)や中国経済の動向、原油価格の推移などに注目が集まっている。原油価格の低迷が続けば、米国の中東地域への関心がますます低下し、地政学的リスクが高まることはあっても下がることはないだろう。
その中で、「ロシア経済」という含み資産をどのように活用できるかが、2017年の日本経済の成否に大きな影響を与えることになる。
今回の首脳会談で「島が返ってこなかった」として再びロシアに対する関心を失ってはならない。
2017年を、エネルギー供給をはじめとする幅広い分野でロシアを日本にとっての戦略的パートナーにする最初の年に位置づけることが大切である。