大学に求められている役割は、すべての大学で一様ではないはずだ。(写真はイメージ)

 前回(「日本の大学は多いのか少ないのか、対立する2つの見解」 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47933)は、日本には大学が777校あり、この数を「多すぎる」とする見方と「少ない」とする見方があることを述べた。

すれ違う対立

 日本の大学数の多寡をめぐるこうした対立は、一見すると、見解が真っ向から衝突しているように見えなくもない。しかし、実際には、両者の見解は、見事にすれ違っている。なぜなら、双方が「大学」「大学教育」と見なそうとする大学像が、根本から異なっているからである。

 一方では、選ばれたエリートや準エリート層が、アカデミックカリキュラムを学ぶことを通じて、幅広い教養を身につけ、汎用的で転移可能な能力を高める場としての大学。他方では、大衆化した学生層が、「知識基盤社会」に参入していく知識とスキルを獲得し、生涯職業能力開発の場としても活用される大学。2つの「大学」は交じり合わないし、どちらを「基準」とするかに応じて、日本の大学の数は、「多すぎる」ようにも「少ない」ようにも見える。

 その意味で、どちらが絶対的に正しいといった判断はできないが、時代の趨勢をや諸外国の動向を考えれば、「大学の数は多すぎはしない」という見解には、一定の分があるようにも思われる。しかし、そう簡単には裁定できないところにこそ、日本の大学制度の特殊性があるのだ。

国際比較の難しさ

 前回掲載したOECDによる各国の高等教育進学率のグラフをもう一度見ていただきたい(出展は、OECD、Education at a Glance 2012)。