パナマ運河がアメリカからパナマに「返還」されたのは1999年。まだ17年前のことだ。それまでずっと、運河とそのまわりの施政権はアメリカにあった。およそ100年の間だ。1999年になってやっと運河を手に入れたパナマ政府は船の通航料を引き上げ、今では運河関係事業はパナマのGDPの大半を占めるという。
パナマシティ。泊まった安宿の地下にはバーがあり、ハッピーアワーでビール半額ということで、カウンターは混み合っていた。ビールを買いに行くと、温和な雰囲気の欧米系のおばさんが隣で同じように半額ビールを頼んでいた。バーテンダーは私たち2人に目配せをして瓶を2本渡す。私とおばさんも顔を見合わせ、隣で受け取ったよしみで瓶をちりんと鳴らす。軽い挨拶。
「どこから来たの?」と私。
「ミネソタよ」とおばさん。
「アメリカね」と私は重ねる。どこから来たのという質問に、州の名前で答えるアメリカ人は多い。それほどに彼らのアイデンティティは州にあるのだと気づいてから、私は最初の一言を東京と答える自分を想像したが、あまりしっくりこずに結局日本と答え続けている。このときも私はやはり日本と答えていた。
「暑いわね、この国は」とおばさんは瓶に口をつけてにっこり笑った。
「ほんとうに」と私。「その分ビールが美味しいけど」
「いいこと言うわね、この暑さがビールを美味しくするのね」