菅官房長官が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に拠出する分担金や任意の拠出金について、停止もしくは削減を検討すると表明したことが波紋を呼んでいる。
南京大虐殺に関する資料が記憶遺産に登録されたことへの対抗措置として当然という声が聞かれる一方、河野洋平元衆院議長のように「拠出をやめるというのは恥ずかしいこと」とする意見も出ている。
日本では、国連をはじめとする国際機関に対して、何か特別な存在であるとのイメージを持つ人が多い(肯定的な人は理想的な国際組織と考え、否定的な人は、いかがわしい組織だと批判している)。だが、その実体は、国をまたいだ巨大な官僚組織であり、世間から隔絶された公務員集団である。
こうした官僚組織を外部からコントロールすることの難しさは、戦後日本において政治主導による行政運営がほとんど実現せず、多くの政策が霞が関の意向で決まってきたという現実を見れば容易に想像できるはずだ。
今回のユネスコ問題のような事態に対処するためには、肥大化した官僚組織をどうコントロールするのかという現実的な視点が必要不可欠である。