凍結で立ち往生の飛行機、乗客が押して離陸 シベリア

ロシア・シベリアのケメレボにある雪原〔AFPBB News

 第2次大戦が終結してから70年。

 ふと思い出したのが、軍服を着た傷痍軍人がアコーディオンなどをかき鳴らしてお金を求める姿だ。おぼろげながらではあるが、幼いながらにしっかり記憶している。

 東京にいて、今はもうそのような人々の姿を見ることはないが、かと言って戦争の時代を生きた人々がすっかり姿を消したわけではない。

 今回お話しするのは、ロシア連邦構成主体の1つであるカルムイク共和国に住む、抑留後、帰国せず留まり、ロシアで生き続けた日本人の話である。

 私がカルムイクに留学したのは2000年9月からの9か月であったが、留学して1か月ぐらい経った頃、突然、カルムイクのテレビ局の番組制作者から連絡があり、その人と会うことになった。

シベリア抑留後、各地を転々

 何の用事かといぶかっていたが、話をしてみると、どうやらここカルムイクには終戦時に抑留され、各地を転々として、最後にここに落ち着いた日本人がいるらしいので、一緒に会いに行かないか、という話であった。

 話をしてから1か月ほどが経った2000年11月3日、車の都合がついたから会いに行こうと連絡があり、私と番組制作者のリョーバ氏、ジャーナリストのイリーシキン氏、そしてカメラマンで一路南へ。

 カルムイク共和国の中心地エリスタ市からは70キロ、約2時間かけて目的地に着く。そこはもう少し行けば南のスラブロポリ州やダゲスタン共和国との境界にあるイキブールルという地区にある貯水池だった。

 そこで出会ったのが「ジャージャ・サーシャ」、サーシャおじさんと呼ばれる方であった。