文民統制が最近話題になっています。中谷元・防衛大臣の「文官統制(防衛省の事務官が政治家からの委任を受けて自衛隊の運用をチェック・決定する)」の否定発言、内局の地位をこれまでより引き下げて自衛官と事務官を平等にする防衛省設置法改正案提出など、国会論戦も活発化しています。
しかし、実はこうしたマスメディアや国会で見受けられる議論は旧来の政軍関係論の議論から脱していません。
批判者は自衛隊の暴走を懸念し、政権を肯定する側は「軍事戦略より下位の問題をプロの自衛隊に委任することが、より良い安全保障政策の実現につながる」としています。ひどい場合は、「文民統制が議論されるのは日本だけで、米国などでは問題にもならない」と指摘する方もいます。
ですが、これらの議論は冷戦以前の「政軍関係」論の議論から脱しておらず、時代遅れと言わざるを得ません。最近の米国を中心とする研究では新しい課題を前提とする問題意識に移行しており、実はそれは我が国の離島防衛、ひいては安全保障全般を考える上でも共通する課題なのです。
以後、何回かに分けて、米国を中心とする政軍関係研究の議論をご紹介した上で、我が国にとって参考になる点を取り上げ、日本の国益のためにどのような文民統制の議論をすべきか問題提起していきたいと思います。
米国でも明確な合意がない「政軍関係」の定義
そもそも、政軍関係の定義とはどのようなものなのでしょうか。
実は、明確な定義に関する合意は米国でもありません。正確には、様々な論者によって異なる定義が混在しているのが現実です。「政軍関係とは政策決定の結果が重要である」とする論者もいれば「そのプロセスが大事だ」とする論者もいるという具合です。
実際、国防総省、CIA、NSC(アメリカ国家安全保障会議)の創設と米国の文民統制確立に大きな役割を果たしたとされるフェルディナント・エバースタットは、「文民統制とは魔法のような言葉で、誰もその意味するところを知らない」と1953年に指摘しています。