2月1日、イスラム国はジャーナリストの後藤健二氏を殺害した映像を公開した。残念な結果だが、これはイスラム国がかねて予告していたとおりのこと。後藤氏解放の条件としてイスラム国が要求していたのは、ヨルダン政府が収監中のサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放・引渡しだったが、ヨルダン政府がそれを拒否したことで、時間切れとなったかたちだ。

 この間、さまざまな情報が飛び交い、あたかもヨルダンとイスラム国の交渉が進んでいるかのような印象もあったが、そうした情報はいずれも誤情報だったということになる。

 今回の人質事件をめぐっては、イスラム国の目的について「存在感のアピール」とか「有志連合への揺さぶり」などとさまざまな説が飛び交ったが、それには大いに疑問がある。実際のところ、すでにこれまで何度も繰り返してきた外国人人質殺害によって、イスラム国の存在感は国際的にも十分に大きなものとなっており、いまさら新たな誘拐・殺人を重ねても、国際的な宣伝効果はさほど高くない。

 また、ヨルダンと日本を結びつけた今回の脅迫も、日本人の反イスラム国感情を高めこそすれ、有志連合を揺さぶるほどの効果など最初から期待できない。つまり、イスラム国の「真の狙い」なるものが、本当にあったのか甚だ疑わしいのだ。

 イスラム国の本当の考えなど、外部の人間には分かるはずもないが、彼らは脅迫映像でその主張を自ら公表している。われわれが知り得るのは、その情報だけであることに留意する必要がある。

「やっていること、言っていること」を分析のベースに

 筆者は今回の事件において、イスラム国の出方を探るために必要な状況分析に、根拠の薄い主観的推測と未確認情報が広く見られたとの印象を持っている。

 真実を探るうえで、考え得るさまざまな可能性を検討することは重要だ。したがって、未確認情報でも「それが事実だったら?」との仮定で状況を分析する意味はある。主観的な推測も、なるべく多くの想定に基づいて検討すべきだ。