今週初め、1人のラジオパーソナリティの訃報が、日本の新聞で小さく伝えられた。ケイシー・ケイサム(Casey Kasem)。

 デトロイト生まれのレバノン系米国人のこの名にピンとくる日本人は少ないかもしれない。しかし、洋楽に夢中になった経験のある40代以上の人なら、その声を「American Top40(AT40)」で、一度は耳にしたことがあるはずである。

時代に逆行する番組だったAT40

ゴーストバスターズ

 『ゴーストバスターズ』(1984)でも、主人公たちの活躍ぶりを伝えるラジオから、「This is Casey Kasem. Now, on with the countdown」と、AT40と思しき番組のケイシーの声が聞こえてくる。

 AT40が始まったのは1970年7月。ラジオはFM時代を迎え、DJは独自にアルバムから曲を選択、シングル志向が薄れつつある頃だった。

 そうした世で、音楽業界誌ビルボードの最新シングルチャートを40位からカウントダウンしていく3時間(のちに4時間)番組を始めることは、時代に逆行しているようにも見えた。

 そんなこともあって、わずか数局ネットで番組は始まった。ところが、1年後にはネット局は100を、数年後には1000を数え、やがて50もの国でその声が聴かれるようになるのである。

 日本での放送は、1971年、FEN(現AFN: 米軍放送網)で始まった。翌72年、日本版「全米トップ40」もラジオ関東(現ラジオ日本)で開始。

 最新チャートなど手に入るはずもなく、輸入盤を扱う店さえ珍しい時代で、レコードもカセットテープも高価だった。だから、洋楽ファンは放送のある土曜の夜はラジオに釘付けとなった。

 東京でさえ安定しない電波にも悩まされた。しかし、ケイシーの発音はクリアで分かりやすく、イスラエル・アラブ和平にも心を砕いたという親しみやすい声は心を和ませた。

 音楽産業王国の様々な新曲に接し、音楽世論を知ることは、まだまだ情報の乏しい時代に、米国の世情を知る助けにもなった。