料理人のパフォーマンスで発達した日本の包丁

変わるキッチン(第1回)~「切る」

2014.04.25(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

【「食べる」ことの歴史は、料理の技術とともに発展を遂げてきた。本連載では、毎回、料理にちなんだ動作をテーマに、その道具の歴史を追い、いかにして日本人が食べてきたのかを明らかにする】

 料理をしている時間というのは、その大半が下ごしらえに費やされている。材料を切り分けたり、薬味をすりおろしたり、下ゆでしたり。しかも手を抜くと、ばっちり味に反映されたりするから、あなどれない。煮たり焼いたりする段階までくれば、あとは火の扱いに気をつけて、味つけをするだけ。下ごしらえさえ済めば、料理は8割がた完成したも同然だ。

 そして下ごしらえのなかでも、とりわけ避けては通れないのが「切る」作業だ。

 タマネギを使って肉じゃがを作るなら、くし切りに。ミートソースなら、みじん切り。サラダだったら、できるだけ薄くスライス。作る料理によって、種々の材料を適当な大きさに切り分ける。

 実家を出るまでろくに包丁を握ったことがなかった私にとって、まず立ちはだかった壁が、この「切る」作業だった。

 夕飯にダイコンのサラダが食べたいと思ったのはいいが、ダイコンを千切りにするのにひと苦労。手元ギリギリに顔を近づけ息を止めて、ようやく包丁をトンとひと振り。ポジションを調整し直して息を止めて、またトン。そんなふうだから、腰は痛くなるわ、時間はかかるわで、結局おかずまでたどりつかなかった記憶がある。

 あれから10年、お世辞にも手際も見た目も褒められたものではないが、そこそこ早く切れるようにはなった。そして1年ほど前には、切れ味がいいと評判の和式の万能包丁も手に入れた。熱した鋼をハンマーなどで叩いて刃を形づくっていく手打ち鍛造のものだ。

 よく「切れる包丁より切れない包丁の方が危ない」と言うが、その包丁を持つまでは「いやいや、やっぱり切れる包丁は怖いでしょ」と思っていた。だが、新しい包丁を使ってみて、その考えを撤回せざるをえなかった。

 トマトにすっと刃が入っていく。きゅうりの輪切りもトントンと軽妙に薄く切れる。清々しい切れ味に、遅まきながら「切れる包丁とはこういうことか」と合点し、「切る」のが楽しくなった。

 道具は、料理を変える。

 切れる包丁を手にして、そのことを実感した。ならば、台所にある道具の歴史をたどっていけば、日本の食卓の変遷も浮かび上がってくるのではないか。まずは、料理の基本中の基本である「切る」道具から始めてみよう。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


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