「いや、もう『避難者です』と言うのもいやになりました」
渡辺さんは苦笑いしながら言った。渡辺さんが初めてもらした「弱音」だった。
「『いつまでも甘えている』と思われてるんじゃないかと心配なんです・・・テレビでは『南相馬市で運動会がありました』なんてニュースをやってます。『もう帰れるじゃないか』と思われてるんじゃないか、と先読みしちゃうんです」
この話は避難者からよく聞く。避難先の人に気を使うあまり、相手の気持ちを先読みするのだ。
入院は何だったんですか。私はそう聞いた。
「実は・・・下血でぶっ倒れました・・・」
びっくりした。渡辺さんは体が丈夫が自慢だとずっと言っていたのだ。前回書いた石谷貴弘さんが吐血して倒れた時点でも、渡辺さんは大丈夫だと言っていた。
久恵さんが加わって説明してくれた。
2013年9月の夜。10日ほど下血が止まらないので、大学病院で検査を受けた。当時住んでいた寒河江市のアパートに戻ると、3階の自室までの階段が息切れして上れない。部屋に入ったらトイレで吐いた。立てなくなった。
「大変だと思って救急車を呼んだんです。到着したので、じゃあ、と玄関を出ようとしたら、気を失って倒れた」
担架が下半分血で真っ赤になった。搬送されてそのまま2週間入院した。
その半年ぐらい前から、体のあちこちに異変が起きていた。2013年3月頃には、頭の後ろに「十円玉はげ」が数個できた。「円形脱毛症」だった。
仕事が見つからず引きこもり状態に
渡辺さんは電気工事会社を経営していた。そのかたわら長年、小学生のバレーボールや野球のコーチ・監督を務めた。仕事を終えるとすぐに練習場に向かう。そのあと夜は友人や親戚の家に行って食事やおしゃべりに興じる。生まれ育った街である。同級生や仕事仲間、取引先、少年少女チームの親たち。友人知人はたくさんいた。朝から晩まで走り回り、土日も外出してばかりでも、全然疲れなかった。毎日が爽快だった。