海上保安庁(海保)や航空自衛隊(空自)が「CSAR(戦場救難)ヘリ」を導入しようとしている話を聞くと、なぜか胸が痛くなる。「本年度は新防衛大綱策定の年」という期待感がそうさせるのだろう。

 自衛隊を退官してヘリ関連の会社に再就職して4年目に入り、自衛隊勤務の根拠であった防衛政策から離れて自由に防衛論を考えられる立場になったのに、「これは!」と思うような考えが思いつかない。

 ただ、近隣諸国への遠慮のため「言うべきことも言わない日本の弱腰姿勢」や、憲法や予算的制約のため「現場の防衛問題を放置している政府の無責任ぶり」が気になるだけの日々である。

何もしなければ日本の平和は続かない

尖閣諸島事故、台湾の抗議船が巡視船と日本領海侵入

尖閣諸島の魚釣島沖で日本の巡視船と衝突した台湾の遊漁船が沈没した事故を巡り、日本の領海内で示威行動をする台湾の抗議船。後ろは護衛する台湾の巡視船(2008年6月16日)〔AFPBB News

 現役時代、東シナ海で現実的な対応を考えるため、事前に実態を肌身で感じておこうと思い、厳しい環境条件下で尖閣諸島周辺をへりで超低空隠密行動したことがある。

 その際、現場自衛隊員の燃えるような頑張りは言うまでもないが、海保の巡視艇が厳しい岩場の陰にひっそり張り付いているのを発見して思わず熱いものが込み上げ、無線で「頑張ってください、ありがとう」と言うのが精一杯だった。

 こういう現場のムードとは関係なく、日本にはどこにも無警戒な平和ムードがあふれている。国民の政治に関する期待感は、「いかに個人の生活を豊かにしてくれるか」しかないように思う。

 「平和な今は、余計な刺激さえ起こさなければ、これが永遠に続く」という誤解が一人歩きしているのだろう。もはや「近隣諸国との危機的状況」を考える人は少なく、「いつ発生するか分からない危機に備える」という「平時の備え」は言い出しにくいムードさえある。

 確かに将来の日本に本格的対着上陸侵攻なんて考えないでいいかもしれないが、国境(領土・領海・領空)付近での利権争いが常態になるのは目に見えている。

 これに堂々と「主権」を主張していく日本であるためには、外交にまでつながる「しっかりした対処力」が必要になる。

 完全な制海権、制空権、ミサイル防衛権を整備することは困難だろうが、相手の邪心を自重させ得る「実用性の高いコンパクトな対処力」を持たねばならない。