安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更にいよいよ本格的に乗り出した。

 2月20日の衆議院予算委員会でも、「閣議決定して案が決まったら(国会で)議論いただく。それらに沿って自衛隊が活動する根拠がないから、自衛隊法を改正しなければならない」と答弁している。憲法解釈の変更に向け、首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、この4月にも報告をまとめる見通しだと言われている。

 マスコミでも賛否両論で、朝日新聞などは憲法解釈の変更に激しく反発している。以前にもこのコラムで述べてきたことだが、賛成の立場も反対の立場も議論の出発点が間違っている。

基地を提供する時点で集団的自衛権を行使している

 まず、一般的に軍事同盟というものは、集団的自衛権の行使を大前提にしている。これは日米安保条約も同様である。

 1951年にサンフランシスコ平和条約と同時に締結された旧安保条約も、その前文で「国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」と述べ、個別的自衛権、集団的自衛権を前提として締結されたことを明記している。

 1960年に改定された新安保条約も同様に、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」と明記している。

 これらの条約に基づいて米軍は日本に駐留してきたのである。1951年当時は、旧安保の前文が、「日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない」と述べているように、日本に軍隊は存在しなかった。それでも集団的自衛権を明記したのはなぜか。それは基地提供そのものが、国際的には集団的自衛権の行使と見なされることがあるからである。