私が「偽ベートーベン」の顔写真を初めて目にしたのは楽器店のCD売り場だったように記憶しています(私は通常ベートーヴェンと表記しますが、偽者にはベートーベンと表記することにしています。前回の記事はこちら)。
CD売り場に置かれた宣材には、よく知られたベートーヴェンの髪形と表情に似せたこの人物が顔にドーランを塗り、青白い撮影用の照明(「月光」でもイメージしたのでしょうか?)を当てられて写っていました。
服装はヘビーメタルのロックシンガーが着るような王子様風?の衣装と見えましたが、今考えると18世紀末のベートーヴェンの時代を「イメージ」したのかもしれません。
何であれ、一目見て「芸能系の売り出し」が明らかで、まともな作曲家がすることではありません。率直に、亡くなった武満徹さんなどは、相当に自己演出のある方だったと思いますが、さすがにメークして宣材写真を撮らせたりはしなかった。
三善晃でも林光でも松村禎三でも誰でも、普通の作曲家は普通の服装で普通に写った写真しか出しません。だって顔で音楽するわけではないのだから、当然です。
同時に記されていたプロフィールは、まともな音楽家が見れば直ちにウソと分かる自己演出過剰な作文でした。
これは芸能プロダクションが入った売り出し商品で、オーケストレーションなどスタッフライターが入っているに違いない、と3秒後に判断しましたので、それきりです。まともな音楽家で、この人を相手にする人がいるとは、正直思われません。
が、実際には、彼を持ち上げる人が業界にもチョコチョコいるらしい。そういう方に、何も「筆を折れ」などと乱暴なことは申しません。ただ、どうか一度ペンを走らせる手を休め、胸に手を当てるなどして、しばらく考えてみるクールダウンの時間を持たれてもよろしいのではないでしょうか?
私にはこの世界の兄貴分に当たる指揮者の大野和士さんも同様の指摘をしておられ、心強い限りと思います。持ち込みでセールスがあっても、きちんと真贋を見分けたうえで、推すものをしっかり推して頂きたいと思います。
“本人自演の再現ドラマ”
「惚れた目で見りゃ あばたもえくぼ」などと言いますが、何をどう勘違いされたのか、いま見ると、「偽ベートーベン」のテレビ番組は、バラエティなどでよく使われる「再現ドラマ」のような演技を本人が随所でしているのが分かります。
この際、私は番組制作にも関わってきたので意地悪く見つけてしまうのですが「カメラワークのある画像」が目立ちます。どういうことかと言うと、リハーサルをしているということです。
ニュースや、正常なNHKスペシャルなどで「作曲家の自宅探訪」となると、ドキュメンタリー・ノンフィクションの絵づらになりますが“本人自演の再現ドラマ”では、苦しんでいるような場面が綺麗な画角で撮られている。
分かる人は100%分かる、相当気持ちの悪い画像ですが、どうしてプロがチェックするはずの放送局でこういうものが通用したのか、率直に不思議に思います。被曝2世、障害といった言葉が、多くの人を遠慮させでもしたのでしょうか?
番組制作のプロセスを知らない多くの視聴者が騙されるのは、仕方がないことかもしれません。
1つの可能性として、先ほども触れた「あばたもえくぼ」の錯覚があったのかもしれません。また、相当多くの触れ込みつき情報ではありました。心理学には「教唆の効果」という言葉もあります。
豊田亨死刑囚について書いた『さよなら、サイレント・ネイビー』をはじめ、今までいろいろなところで指摘してきたことですが、自分が「好き」と思ったものに対しては、多くの人が感情的にほかの目で見ることができなくなり、極端な反応を示しやすい。
少なくとも音楽のプロは一番こういうことに気をつけねばならないポイントです。どんなに入神の演奏中でも、頭上3メートルには全体を冷静に見つめているもう1人の自分が必要不可欠、というのは私たちクラシックの音楽家がトレーニングで身につける大切な能力の1つです。
「ファンになったら何でも好き、何をやっても素晴らしい」みたいな裸の王様状態が、今回の騒ぎの背景に存在しています。