「その農業政策では甘すぎます」連載を一時中断し、オーストラリアでオーガニック野菜を作っていた林祥隆氏との対談記事をお届けする。
林氏は1972年神戸生まれ、アメリカのフロリダにあるランドレイクハイスクールで学び、1996年オーストラリアに移住。2010年から農業を始め、野菜栽培で成功していた。しかし次回に触れるある事情によって農業の継続ができなくなり、2013年7月に一時帰国している。
オーストラリアの農業に果敢に飛び込んだ林氏の体験談は、筆者にとって非常に新鮮で刺激的なものだった。日本での農業経験はなくオーストラリアで初めて農業と向き合った方なので、日本の農家と感覚が全く違うことに驚いた。日本でオーストラリアの農業について触れた記事は少なくないが、現地で実際に農業をやっていた日本人の話を聞くのは私も初めてである。
新聞広告で農地を探した
──初めてお会いするわけではありませんが、対談記事を書く時の“お約束”ですから、今日はよろしくお願いします(笑)。いろいろとお聞きかせください。まずおうかがいしたいのは、なぜオーストラリアに移住されたのか、ということです。
「サーフィンがしたかったんです。サーフィンといえば、ゴールドコーストでしょ?」
──もしかしてサーフィンのプロだったとか?
「いやいや(笑)。ゴールドコーストに事務所を構えサーフィンスクールをやってました。お客様は日本の修学旅行生とか、日本人が多かったですね」
──1996年に移住して、14年ほどサーフィンスクールをやっていて、どうして農業を始めたんですか。