「主に日本の野菜を作ってました。オーストラリアって移民国家なのでマルチカルチャーでいろんな人種がいます。それでいろんな国の料理があふれているんで、知らない野菜で料理を作るのに抵抗がないんてす。最初はファーマーズマーケットで売ってましたけど、後に日本食レストランから契約栽培の申し出があって、一番多い時は30社の契約栽培を受けてました」