この図が示すように、複雑性が増えると見返りも増えるが、ある時点でピークを迎えてしまう。その後も、社会は複雑性を増しながら問題解決を目指すのだが、事態はますます悪化していく。

 テインター教授はこの様子を「複雑性は利益を生むが、損失も与える。その破壊的な潜在能力は、社会経済の複雑性への出費の増大が利益を減らし、ついにはマイナスの見返りになった歴史的事例を顧みれば明らかである」として説明している。

 つまり、過去の経験に照らし合わせる限り、「より複雑化させることで問題解決を求めようとするアプローチ」は限界にぶつかってしまう。特に、投入する補助エネルギーが制約される世界では問題の解決策が見つからない可能性が高い。

 エネルギー問題に関しては、「技術が解決してくれる」という楽観的な見方もある。しかしその場合の「技術」とは、往々にして「より複雑でより高度な技術」である。ところが歴史は、高度な複雑化が逆に文明崩壊の引き金になることを教えている。

 そうだとしたら、「高度な技術による問題解決」というアプローチから一旦離れ、社会のシステムをよりシンプルに「単純化」させることで問題解決の糸口を模索すべきではないか。

 受け入れ難いほど厳しい現実に直面すると、人間は悲しむよりも先に現実を受け入れることを「拒絶」したり、「怒り」に似た感情がこみ上げたりする。「石油ピーク論」をめぐる論争にも似たところがある。自らの頭で考えること自体を拒否し、石油ピーク論を語る専門家に対して敵意をむき出しにする人々が存在する。

 この点、カリフォルニア州立大学のダイヤモンド教授(Jared Diamond)は『文明崩壊』(草思社)で過去に崩壊した文明の共通点として「失敗の連鎖」を指摘している。それによると、(悪い事態の)予測に失敗→(その意味や真相を)認めることに失敗→克服のための試みに失敗→最終的に問題解決に失敗――という過程を辿るという。

 つまり、崩壊した文明の本当の問題は、誰も将来を見通すことができず、危機的な状況に陥ることを予測できなかった点にあるのではない。過去の文明でも危機に対して警鐘を鳴らした人は存在したが、社会全体がそれを認めることに失敗し、その結果として克服のための試みが行えなかったわけだ。

国連の死刑停止決議で、ローマのコロッセオをライトアップ

ローマ帝国と同じ崩壊の道を・・・〔AFPBB News

 同様のことは、前述したテインター教授も「人間の意識や行動パターンを改めることこそが困難であり、ここに過去の文明社会が崩壊へと突き進んでいった原因があるだろう」と指摘している。文明崩壊の真の要因は、一人ひとりの認識や行動パターンを変えられないことにあるのだ。

 翻って、我々が暮らす「現代文明」はどうであろうか。崩壊していった過去の文明と同じ道を歩んではいないだろうか。未来の歴史家は我々の文明を地球から消えた他の文明と並べて「ワン・オブ・ゼム」(one of them)にしてしまうのか――。「拒絶」や「怒り」から速やかに脱却し、まずはこの受け入れ難い現実を「認める」ところから始めなくてはならない。