旬の魚「さんま」の食と漁の変遷を前後篇で追っている。
前篇では、「下品」とされていたさんまが、人びとに受け入れられるようになった経緯を見てきた。「たくさん、うまい」から「さんま」という語源の説もあるほどだ。一度食べたさんまのうまさは忘れがたい。
さんま漁の歴史も見てきた。短時間で鮮度よく漁獲する技術革新が1940年代、太平洋戦争前後にあった。光でさんまの群れを集約し、漁獲する「棒受網漁(ぼううけあみりょう)」が漁師により生み出され、広まった。
後篇では、この棒受網漁をめぐる新たな技術革新を見ていきたい。ここ5年ほどで、さんまを“獲る”光は大きく変貌を遂げている。その“仕掛人”である東京海洋大学准教授の稲田博史氏に、さんま漁変革の狙いや動向を聞く。
“光量競争”が白熱していった
夜、海面近くにいるさんまをサーチライトなどで照らすと、さんまは光を感知した瞬間に海面から跳ねたり、光を避けるように泳ぐ。しかし、その後は光に向かってくることが多い。光に向かってくる性質を「正の走光性」という。さんまのこの習性を利用して、夜の海を照らし、さんまの群れを灯光の操作と操船のコンビネーションで網の上に誘って獲る。これが棒受網漁だ。
戦後、さんまの棒受網漁が広がり、漁師たちは一度にさんまをまとめて捕獲できるようになった。ただし、船の近くにさんまを集めるには大光量が要る。その光は、白熱灯のほか、競技場照明などにも使われる高輝度のメタルハライド灯から得てきた。漁師たちは、自船の光をもっと強くして他船より多くのさんまを集めようと、大出力光源を船に備えるようになった。
しかし、ソナーや魚群探知機などの超音波計測器でさんま群を見つけて、その魚群に船を寄せ、光で魚をコントロールして網の上に乗せる現在の漁獲方法では、操業における光の持つ意味が変わってきている。