化学兵器使用とアメリカの軍事介入への動きによって、日本でも8月下旬からシリア情勢に関する報道が急に増えてきた。しかし、その論調にはおかしなところがいくつもある。
実は筆者は、シリアとはプライベートで長く深く関わってきた。20年前に結婚した元妻がシリア人で、その後、何度もかの国を訪問し、親族や友人を通じてシリア人社会を内側から見てきたのだ。
シリアは北朝鮮と同様の強権体制の独裁国家で、秘密警察が国中に監視網を構築し、不満分子は徹底的に弾圧する恐怖支配が行われている。言論統制も徹底され、もともと外国人記者が自由に取材できるような国ではないうえ、外国人と接する機会のあるシリア人も、秘密警察を恐れて外国人に迂闊にホンネを話すことはない。したがって、なかなかその真の姿が外国人には見えにくい。
筆者のような関わりは希少ケースと言っていいが(シリア人女性と結婚した日本人は筆者が2人目らしい)、そのためシリア国内に今も住む親族や友人・知人たちから直接、“身内”として率直な話を聞く機会を持つことができた。そうした立場でシリアで進行してきた悪夢のような出来事の経緯を、2011年3月の民衆蜂起からずっと見てきたが、日本の報道から受ける印象は、筆者の知る話とはかなり違っている。
もちろん筆者の現地人脈は限られたものであり、すべてのシリア国民の声に接しているわけではない。どこの国にも様々な考えの人がいるだろうし、もちろんアサド政権側の人間、すなわち一般国民を弾圧する側の人もいる。
そういった意味では、筆者の人脈は、アサド政権に弾圧される側に偏っている。しかし、シリアでは弾圧される側が、する側より圧倒的に多い。したがって、筆者が聞く情報は、シリアでは国民の多くが共有するものと、筆者は考えている。筆者が聞く話がすべて、偶然にもごく一部の極端な過激分子の言葉ばかり、などということはあり得ない。
最も重要なのは進行中の虐殺を止めること
こうして筆者は、アサド政権に弾圧される側の状況と、彼らの気持ちをある程度知る立場にいるわけだが、そこで日本の世論に違和感を覚えるのは、例えばまずアメリカの軍事介入に対する感覚の大きな温度差だ。
現在、アメリカ批判の立場からは、「米軍が勝手に戦争を始めるのは許せない!」「アメリカは横暴だ!」「戦争反対!」といった声がある。まるで米軍が軍事介入することで戦争が始まるかのような物言いだ。