中国が領土拡張を成功させる方法の連載、今回が最後です。前回、中国が領土拡張を行おうとするとヒール(悪役)にならざるを得ず、敵を作るだけだと書きました。アメリカが自国の勢力を世界に広げたときは中国ほど苦労はしていません。むしろ、アメリカの世界進出は、他国から(正確にはヨーロッパ諸国から)歓迎され、それゆえに短期間でカタが付いたのです。
なぜ中国が勢力を拡大しようとすると嫌われ、アメリカだと歓迎されたのでしょうか?
内紛に疲れローマに執政官の派遣を要請
<ローマが最初に執政官を派遣した国は、カプアであった。カプアとの開戦後、四百年目のことであった>
(『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫)
前回、ローマが同盟国の周囲を属領で囲んで包囲したことを書きました。しかし、ローマは反抗してくる相手には容赦しませんが、反抗してこない限りは特に何もしませんでした。指揮権は持っていますが、圧力をかけて内政干渉したりせず、むしろローマから支配されているといった印象を持たれないように振る舞っていたと言っていいでしょう。
カプアとローマとの接触は、マキァヴェッリによれば戦争から始まったようです。カプアはイタリアで最も肥沃な土地を持っていたせいでしょう。過去には敵に攻められたカプアを救援に行ったローマ軍が本国の元老院の意向を無視してクーデターを起こして自分たちのものにしようとするなど、何かとローマ史の舞台に立つことが多いところで、名物は内紛です。
ところがあまりに内紛が多かったため、カプアは内紛に疲れ、ローマに執政官の派遣を要請します。要は自分たちが国を管理しようとすると内紛をやらかすので、管理者をローマ人にして、彼らの裁定に従えば、内紛は避けられるだろうと踏んだわけです。
ローマも王政時代には、内紛を避けるために新しい王を外国からスカウトしてきたことがあります。自分から行くのではなく、相手から要請されたのですから抵抗されることもありません。そうしたローマとカプアの関係は、第2次ポエニ戦争時、ハンニバルがカプアを占領するまで続きます。