欧米から直輸入の菓子や雑貨が山積み――。1966年、東京・銀座のソニービル地下で日本初のアメリカンスタイルのドラッグストア「ソニープラザ」(現PLAZA GINZA)が産声を上げた。
それから半世紀近くが過ぎても、今なお流行の発信基地として若い女性から抜群の支持を集めている。電機メーカーが畑違いの輸入雑貨店経営でブランディングパワーを強化するという、ソニー創業者・盛田昭夫氏の炯眼は誰もが認めるところだろう。
ソニーは本業への集中のため、小売り関連の子会社を売却。ソニープラザを受け継ぐスタイリングライフ・ホールディングスは現在、東京放送ホールディングス(TBSHD)の傘下にある。スタイリングライフで輸入雑貨販売を担うのが、プラザスタイル カンパニーである。
親会社が日本を代表するハイテク企業からテレビ局に代わっても、「夢」の提供という使命に変わりはない。最近はクマのキャラクター「ブーフ」が爆発的なヒットを飛ばし、東京・渋谷では「女子高生の9割が関連グッズを身に着けている」と言われている。
2010年5月、プラザスタイルでは池上みね子氏がカンパニー オフィサー プレジデントに就任。ソニープラザ時代も含めて初の女性社長は「モノが売れない」時代にどう立ち向かうのか、その戦略と戦術を聞いた。(2010年6月14日取材 特記以外は前田せいめい撮影)
商品部時代、スペイン直輸入チョコが大ヒット!
JBpress 1979年、当時のソニープラザに入社した動機は。
神奈川県出身 1979年早大文卒業後、ソニープラザ入社 プラザスタイルの広報室長やエグゼクティブバイスプレジデントなどを経て、2010年5月プラザスタイル カンパニーのカンパニー オフィサー プレジデント
池上みね子プレジデント ちょうど大卒女子の採用を拡大する時期。ソニープラザは銀座の店しか知らなかったが、「雑貨屋さんて面白いな」と見つめていた。それ以前から、輸入文房具が好きで興味があった。祖父が丸善に勤めていた関係で、子どもの頃に洋書が身近にあったことが影響したのかもしれない。
商品部に配属されて菓子やおもちゃを担当し、非常に面白い仕事をやらせてもらった。当時、米国のm&m'sぐらいしかなかった外国製「マーブルチョコ」で、スペインからの輸入に挑戦した。日本向けに透明チューブの商品を作ってもらい、サイズも小さくした。ラベルは自分でデザインして現地に送ったのだが、これがものすごく売れた。生活雑貨もやったことがあるが、一番長いのは菓子関係になる。
━━ どういう菓子がヒットを飛ばすのか。
池上氏 実際にトライしてみないと分からないが、弊社の場合、一般市場よりも「見た目が面白い」「かわいい」という理由で売れることが多い。季節性も大きな要因になり、クリスマスやハロウィーン、バレンタインデーに照準を合わせ、メーカーとともに企画やパッケージ物を考える。