「劣悪なる酒」を一変させた明治の技術革新

進化する焼酎(前篇)

2013.05.24(Fri) 漆原 次郎
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 勢いはなくなった。それでも廃れることなく、いまも根強い人気を保っている。日本の酒類における「焼酎」の存在は、そんな感じだろう。

 焼酎には3回ブームがあったとされる。1975(昭和50)年頃からの大手メーカーの“おしゃれな焼酎”戦略などによる静かなブーム、1982(昭和57)年からの缶チューハイや本格焼酎のヒットによる爆発的なブーム、そして2000(平成12)年からの中小メーカーによる芋焼酎を中心とした長いブームだ。

 ブームは“終焉”を迎えた。だが、日本酒やビールの消費量が右肩下がり、かつ発泡酒の消費量が乱高下の状態にある中で、焼酎の消費量はほぼ横ばいを保っている。

焼酎。日本の代表的な蒸留酒。日本酒とともに「國酒」として紹介されることも

 日本人は焼酎を普通に飲み続けていると言えそうだ。さらりとした飲み口で、ついもう一杯やってしまう。水割り、ロック、ハイボール(チューハイ)と、飲み方も多種多様だ。芋、麦、蕎麦、米と、原料による選り好みもできる。

 このように花開いた焼酎にも、たどってきた道がある。その道とは、各時代の人びとの「よい酒を」という心と技の積み重ねと言ってよいだろう。そしてそれは現代も続いている。

 今回は「焼酎」の歴史と現在を前後篇で伝えていきたい。前篇では、日本で焼酎が飲まれるようになった来歴や、焼酎の質を高めた技術革新を紹介しよう。後篇では、日本の焼酎業界をリードしている大手メーカーに、焼酎はどう進化し続けているか、話を聞くことにしたい。

シャムから琉球国に蒸留酒のつくり方が伝わる

 私たちが飲んでいる焼酎はどこからきたのか。朝鮮半島から北九州に渡ってきたという説や、中国から南九州に渡ってきたという説がある。だが、シャム(いまのタイ)から琉球国(いまの沖縄)を経て、薩摩(いまの鹿児島)に渡ったという説が主流だ。

 焼酎の伝わり方については、発酵学者の小泉武夫による「焼酎の伝播の検証と、その後に於ける焼酎の技術的発展」(東京農大農学報集54巻4号)という総説が詳しい。小泉によると、陳侃(生没年未詳)という中国人が訪れた琉球国の様子を、1534(天文3)年に『陳侃使録』という書物に記している。陳侃は、琉球国に「南蛮酒」という佳い味の酒があり、つくり方は邁羅(シャム)から渡来したのだと述べている。この酒は、のちに「泡盛」と呼ばれるようになる。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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