4月8日、“鉄の女”と呼ばれたマーガレット・サッチャー元英国首相が死去した。自らの信ずる経済政策や教育改革を断行し、対外政策では西側陣営のリーダーの1人として冷戦終結に大きく寄与した。その対外政策の中でもとりわけ“鉄の女”の名声をとどろかしたのがフォークランド戦争(1982年4~6月)であった。
イギリス領フォークランド諸島とサウスジョージア島を、かねて領有権を主張していたアルゼンチンが軍事占領したのに対して、サッチャー政権がイギリス遠征軍を派遣し、それら領土を奪還したのがフォークランド戦争である。この戦争からは、島嶼国家日本の国防にとり有用な軍事的教訓を数多く引き出すことができる。
そしてこの戦争でのサッチャー首相の行動は、現在尖閣諸島をはじめ領土・領海を巡るトラブルに直面している日本にとっては、とりわけ日本の政治指導者たちにとっては、肝に銘じなければならない貴重な政治的教訓を示してくれているのである。
本稿ではそれら数多くの学ぶべき教訓のうち、「断固たる姿勢こそ国家主権を護る」という教訓と「同盟国に多くを期待するな」という教訓を取り上げる。
断固たる姿勢こそ国家主権を守る
アルゼンチン軍が行動を起こす8カ月ほど前の1981年6月末、イギリス政府は財政上の理由により軍備の縮小を決定した。その一環として、フォークランド諸島を本拠地としていたイギリス海軍砕氷パトロール船「エンデュランス」の撤収が決定された。
アルゼンチンでは、同年12月に、軍事独裁政権下で政敵支持勢力の弾圧を指揮してきたガルチェリ将軍が大統領に就任すると、国民の不満を緩和するためにフォークランド諸島領有権問題を煽りたて「島嶼奪還運動」を盛り上げた。
翌3月にはフォークランド諸島から1000キロメートルほど東方海上のサウスジョージア島でアルゼンチン側が不穏な動きを見せたため、イギリス海軍は南大西洋に原子力潜水艦を派遣する許可を政府に求めた。しかし、事態がこれ以上深刻化することはないと見なしていた外務大臣キャリントン卿は、この要請を却下した。
しかしながらサウスジョージア島の情勢はますます悪化しただけでなく、イギリス国防当局はアルゼンチン軍によるフォークランド奪還作戦計画の情報までも入手した。3月28日にはアルゼンチン艦隊の出動を確認したため、サッチャー首相とキャリントン卿は原潜の出動に同意した。しかし4月2日には、アルゼンチン軍上陸侵攻部隊がフォークランド諸島の首都ポートスタンレーを急襲し、イギリス総督は降伏した。こうしてフォークランド諸島はアルゼンチンにより占領された。