昭和11(1936)年、満鉄社員会から『成吉思汗伝』なる本が出版される。著者はエレンジェン・ハラ=ダワン、訳者はハルビン学院出身の本間七郎である。この本はその後、1938年に朝日新聞でも再版されている。

 私とこの本との出会いは、10年以上前、北京の古本屋でのことである。

カルムイク、波乱万丈の歴史

建国800周年、チンギスハンの名誉回復に努めるモンゴル政府 - 米国

2005年、建国800年を記念してモンゴル政府が米政府に送ったチンギス・ハンの肖像画〔AFPBB News

 ふと眺めていたときに、モンゴル文字で「チンギス・ハン」と書かれた背表紙に目が留まり、中を見てみると日本語であった。価格は10元、当時日本円にして150円ほどであったので、買うのに勇気がいるようでもないし、珍しいと思って購入した。

 当時は作者のことも全く知らなかったが、その後、この本がとんでもない本であるということが分かった。部分的にはすでに「チンギスハン崇拝は日本が作った?」でも書いたが、今回は、この本をめぐる物語をしてみたい。

 以前、カルムイクという民族の波乱万丈の歴史をご紹介したと思う。

 実にこの400年の間に新疆からロシア、ヨーロッパ各地を経て、アメリカ東部にまで散らばった人々であるが、その中にはロシア革命で白軍側につき、劣勢の中でヨーロッパに亡命せざるを得なかった人々がいた。

 この本の作者、ハラ=ダワン(1883-1942)も、そのような経緯で、ユーゴスラビアに住み、そこで生涯を終えたカルムイク人である。

 この『成吉思汗伝』の元となった本は、『軍指揮者としてのチンギス・ハン』(以下チンギスハンと約す)という題名であり、1929年に、ベオグラードでロシア語で出版されている。つまり、亡命先で出版された本ということになる。

 住んでいる地域で話されている言語でもないことから、販売ルートに乗ることは想像し難い。部数に関する情報もないが、おそらく本のわずかしか出されていないはずである。その本がなぜ、たった7年で日本語での翻訳が出版されたのだろうか。

 一般的には、言語学者でユーラシア主義者のN・トルベツコイや、モンゴル研究者のB・ウラジミールツォフがこの時期にチンギス・ハンに関して本を出したことに刺激を受け、遠い故郷を思いつつ筆を取ったものだと言われている。