かつて拙著(『グルジア現代史』)を上梓した際、ウェブ批評で宗教面への気配りが欠けている点を指摘されたことがある。紙幅の都合もあったとはいえ、現代グルジアの最重要人物の1人としてイリア2世の写真も載せるべきであった。

緑に包まれるハンズタ教会跡。ここを拠点に8~9世紀、グルジアの聖人グリゴル・ハンズテリが活躍した。ドーム崩落は今世紀に入ってからも続いている

 日本の置かれた地政学が領土問題を「島」を巡る問題に帰着させるように、グルジアと旧ソ連・中東においては、周知のことながら民族と宗教がまさに歴史とナショナリズムの問題において主要なファクターとなる。

 先月、トルコ共和国東部に残存するグルジア教会の遺跡を訪れた。

 川嶋氏の韓国訪問よろしく、イスラム国トルコへのキリスト教遺跡訪問に多少緊張したものの(そもそも20年前のソ連崩壊まで北大西洋条約機構=NATO加盟国トルコとの往来は厳しく制限されていた)、見事にグルジア人の観光名所化しており、拍子抜けするほどであった。

 美しい教会遺跡とその困難な保存状態については写真で見ていただくとして、今回は、グルジア正教会とグルジア人が「タオ・クラルジェティ」と呼ぶトルコ領内に含まれる旧グルジア王国支配地域の歴史について簡単に触れてみたい。そのうえで、遺跡を巡る複雑な環境についてもリポートする。

グルジアは古い正教国

オシュキ教会。美しい装飾とフレスコ画が残る。ワールド・モニュメント財団WMFも取材に訪れていた

 そもそもグルジアが古いキリスト教国であることは、どれだけ日本で知られているだろうか。

 人類の歴史でキリスト教を国教として採用した最初の国がアルメニア(西暦301年)であり、この次がグルジアである(326年あるいは337年)。

 聖書の民族語への翻訳の必要からグルジア文字が生み出された。キリスト教信仰と独自の文字・文学伝統は、異民族・異教徒の優勢が続く中、アルメニアやグルジアが今日まで独立国家を存続させていくうえで大きな柱となった。

 現在グルジア正教会を率いるイリア2世は、実にブレジネフ時代の1979年から総主教の地位にある。普段物静かに信者に語りかける総主教であるが、ソ連崩壊後、内戦の最中には国家崩壊を寸前で止めた鬼気迫る演説も残されている。

 実は前回触れたグルジアの総選挙でも、イリア総主教は選挙前日に国民に投票に行くよう呼びかけた。国籍剥奪・財産没収など、サアカシュヴィリ政権のなりふり構わぬ攻撃で劣勢にあったイヴァニシュヴィリは、グルジア史上最大のサメバ(聖三位一体)教会のスポンサーとして尊敬を集める存在でもある。