パームスプリングスで一日中のんびりと過ごした帰り、真夜中近くのI-10フリーウェイをロサンゼルスに向かって飛ばしていた。

 ヨーロッパ取材で持ち帰ってきた膨大な量の資料やインタビュー素材を、頭の中でまるでパズルのようにいろいろと組み合わせてみたり順序を入れ替えてみたりする。これからどうまとめてこの連載に生かそうかと考えていると楽しくて、夜のドライブも快適だ。

 ラジオのフリークエンシーは朝なんとなく聴いていたKIIS FM(102.7)に合わせたままにしてあった。全米トップ40や流行のPOPSが常にかかっているロサンゼルスの人気ラジオ局だ。

閉館したローマ・トラステヴェレ地区の映画館「チネマ・アメリカ」。アメリカは貧しいイタリア移民たちにとって夢の国だった(筆者撮影、以下同)

 そう言えばローマのフィウミチーノ空港に到着して最初に乗ったタクシーのラジオから大音量で聞こえてきたのは、ミスター・アメリカことブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』だった。

 僕がローマに留学していた大学時代、もうかれこれ15年も前のことだが、イタリア人で英語を話す人は本当に少なかった。

 そういう僕も当時は英語が全くと言っていいほど話せなかったので、彼らと彼らの言語で話すしかなくイタリア語がかなり上達したわけだが・・・。

 ところが現在のローマでは、もうどの店に入ってもどの人に道を尋ねても、皆が英語を話すようになっている。

 取材したローマ大学「ラ・サピエンツァ」韓国語学科の学生たちによれば、ここ10年、政府が外国語教育にかなり力を入れるようになったという。「ここには若い連中に仕事なんてないから、早いとこ外国語をマスターして外で勝手に仕事とってこい!」というまあなんとも無責任というか、イタリアらしい政策だ。

夜のロトンダ広場。光と影によって刻々と姿を変えるパンテオンは一日中眺めていても飽きることがない

 お気に入りのレストラン「Di Rienzo」の化粧室の前でタオルを客に渡してチップを稼いでいる老人が呟いていた。「2年もすればヨーロッパは倒産だ。可哀想なヨーロッパ。可哀想なイタリア。可哀想なローマ・・・」

 だが着々と逞しさを培っている若い学生たちが外国に飛び出そうとしている。今回知り合った韓国語学科の学生もしかり、インターネットに活路を見出そうとしているイタリア人俳優たちもしかり。

 彼ら彼女らの新しい世代が外側から現代イタリアのルネサンスを成し遂げるのかもしれない。

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 単調なフリーウェイは延々と続く。

 砂漠の涼しい夜気を少し入れようと窓を開けた。

 車中を時速90マイルの風が吹き抜けると、轟音とともにラジオから、いま世界を席巻している「あの曲」のイントロが聞こえてきた。