7月20日付のJBPressで、マスコミによってつくり出された「オスプレイ恐怖症」を治療するために、日本政府・国防当局はオスプレイの安全性に関する説明ではなくオスプレイの必要性に関する説明を行わなければならない、と指摘した。
しかし、いまだに政府は「オスプレイは安全だから心配いらない」との説明に拘泥しており、「なぜオスプレイは日本防衛にとって必要なのか?」といった疑問を多くの国民に理解してもらうための積極的努力を欠いている。これでは「何をもって安全か?」という絶対に妥協点を見いだすことがないであろう議論に陥り、将来に禍根を残すことは必至である。
「日本にとってのオスプレイの必要性」は単純な話ではない
「なぜオスプレイは日本防衛にとって必要なのか?」という疑問に対して、尖閣諸島防衛に役に立つ、沖縄から中国本土まで行動半径に入っている、などと指摘してあたかも尖閣諸島が占領された場合にオスプレイが奪還作戦に活躍するがごとき印象を与えている一部メディアもある。
確かに「MV-22Bオスプレイ」は普天間基地から1時間程度で尖閣諸島上空域に到達することができるし、その行動半径内には上海など中国本土の都市も含んでいる。
しかし、現実はコンピューターゲームのように単純なシナリオとは異なり、複雑である。そのようなカタログデータだけによっては、オスプレイの真の必要性を説明することはできない。
なぜオスプレイは日本防衛にとって必要なのか、という問いに答えるには、日本の国防に必要であるにもかかわらず、自衛隊には欠落している「併用戦能力」という日本の国防システムの根幹にかかわる問題まで遡る必要がある。
【1】島嶼国家日本の防衛に欠かせない併用戦能力が日本には存在しない
日本のような多数の島々と長大な海岸線を有する島嶼国家の国防の基本方針は、「強力な海軍力と航空戦力により外敵の軍事的侵攻を海洋上で防止し、日本の領域(領海・領土・領空)内には敵侵攻軍を一歩たりとも侵入させない」という鉄則に拠らなければない。