前回、前々回に続いて、松野元さんの著書『原子力防災』が5年先立って予言していた福島第一原発事故の放射能災害について3回目の報告を続ける。

 初めに、ここまでの記述を振り返っておく。

前々回

「ERSS/SPEEDIは手動でも使えた。避難の方向と範囲は手計算で指定できた」
「避難のタイムリミットと範囲も手計算ではじき出せた」
=3月11日午後4時35分の福島第一原発から政府への「原子力災害対策特別措置法15条通報(全交流電源喪失)」から25時間以内に30キロ内は退避させる。
=30キロ内には南相馬市や飯舘村南部が入る。

前回

 「オンラインでERSSへの現地情報が途絶した後でも『全交流電源喪失事故』のような過酷事故の進展を、原子炉ごとにシミュレーションしたバックアップシステムPBSが使えたはずだ。安全保安院はそれをしなかった」

 つまり「法律とシステム、マニュアルが正しく使われていたら、南相馬市、飯舘村、川内村などの住民のかなりの割合の人たちが被曝せずに済んだ」と言えるのだ。すなわち15条通報以後の「住民避難の失敗」は天災でも何でもなく「あらかじめ決めてあったことを政府ができなかった・あるいはやらなかったための人災」だと言える。報道はもちろん、国会事故調査委員会の論点整理もこの「地震・津波」という天災と「避難の失敗」という人災の「2つの別種の災害」を「1つの災害」と誤解したまま論じている。

「住民を避難させることに失敗した」のは人災

 これを3.11の全体像の中に置いてみよう。「中間まとめ」と思って読んでほしい。

(A)原発事故の原因になった3.11のような巨大地震と津波は想定外だったかもしれない。

(B)しかし「原発が全交流電源を喪失する」という甚大事故は予測され研究し尽くされていた。(NRC報告書を後述)

(C)そして「そうなったとき」のための法律やシステム、マニュアルは完備していた。

(D)政府=特に専門家であるはずの官僚=原子力安全保安院(経産省)と学者=原子力安全委員会は、こうした法律やシステム、マニュアルをまったく使えなかった。あるいは使わなかった。

 (注)「政府」という言葉には、政治家、官僚、学者などがプレイヤーとして含まれる。それぞれは負うべき責任の種類が違う。仔細な責任の在処は追って詳しく検証していく。

(E)つまり「地震と津波で原発が全電源を失う事態に陥る」までは「天災」だったが「原発がそうなったあと、住民が被曝しないように避難させることに失敗した」という部分に関しては「人災」(あえて善意に解釈してあげれば『失策』)である。