千葉県内の住宅街を入っていくと、その会社「日本官帽制帽」はある。民家と見紛うような佇まいの建物の中に入ると、十数人の女性たちが陸上自衛官の帽子を作っていた。
日本官帽制帽の帽子作りは、元々、農閑期の仕事として始まった。昨今は中国製品などの登場によって国内の帽子産業は衰退の一途を辿っている。制服を着る職業でも国産帽を採用する所は少なくなる一方なのだ。
「元々は教員をしていたんですが・・・」。そういう同社社長は3代目。父親が急死し、後を継いだ。
かつては山形で帝國海軍の帽子を作っていたが、軍に協力していたということで故郷にいられなくなり、こちらに移ってきたのだという。
この緑色の帽子、昔から外見は変わっていないが、内側は時代とともに進化をしている。あらゆる状況下でいかに心地よくかぶれるか、今なお研究を続けているという。
糸の1本1本に至るまで微に細にわたってなされている気遣い、そんな帽子作りを先導してきた工場長は近年リタイアした。
「休んでくださいと言っても日曜に来て作業をしていたんですよ」
中学卒業から55年間の人生を帽子作りに投じた、その技術と熱意を残った職人たちが受け継いでいる。
大量発注の帽子を作ると職人の「手が荒れる」
帽子作りは20~30年経験してやっといい物ができるようになるという。
いずれの装備品もそうだが、自衛隊のものは仕様が細かく厳しい。この壁をクリアするだけでも至難の業だと言われるが、仕様書には記されていなくても欠かせない重大なポイントがあるという。それは「威厳」だ。