日本で“伝統的”と言われる食材にも、海外から取り込まれて日本の中で独自に発展を遂げたものは多くある。以前、この企画で取り上げた「抹茶」は、“日本化”された食材の典型例だ。

 もう1つ“日本化”がなされた代表的食材がある。「あんこ」だ。

 ぼてっとした見た目の重み感。舌に入れると、一気に甘さが広がる。何度食べても飽きがこない。羊羹、きんつば、饅頭、おはぎ、あんみつ、大福・・・。多様な和菓子のいずれにおいても、あんこは重要な役割を果たしている。あんこが様々な食材と相性がよいことの証しと言えそうだ。

 なぜ、あんこはこれほど多様な和菓子のいずれにつけても、重要な食材になりえるのだろうか。変遷歴史を追っていくと「あんの日本化」の歩みが見えてくる。

 前篇では、和菓子に欠かすことのできないあんこの歩んできた道をたどってみたい。そして後篇では、単純とされながらも奥深いあんこづくりを科学の目から探っていこう。

 「餡」と漢字で書いて「あん」と読む。「あんこ」の「あん」だ。この「餡」の意味をたどっていくと、日本におけるあんの変遷の歴史が見えてくる。

 中国で「餡」とは「中に詰めるもの」全般のこと。例えば、肉まんの中に詰める肉などの具材、また、餃子の皮の中に詰める挽肉や野菜の具材もみな餡だ。

 食べ物における「詰めるもの」が餡なのだから、中国から日本に餡がやってきた時も食べ物に包まれていた。その具体的な食べものは何かというと、饅頭だったとされる。

 饅頭の日本伝来には、いくつかの説がある。まず、鎌倉時代の1241(仁治2)年、臨済宗の僧だった聖一国師が、宋から帰国した時に饅頭の製法を日本国内で伝えたというもの。ただし、この饅頭には餡が含まれていなかったとの見方が強い。となると、餡の伝来の話とは筋違いになる。

 餡の入った饅頭を日本に伝えた人物として支持されているのが、南北朝時代の1349(正平4)年、中国浙江省から日本にやって来た林浄因なる人物だ。南朝の後村上天皇に、餡入りの饅頭を献上したことが、餡の日本伝来とされている。

 この時の餡は、今の小豆(あずき)でできた甘い「あんこ」とは似ても似つかぬものだった。中国での当時の食事情からして、餡は肉の詰めものだったのだろう。ちなみに、あんこがふんだんに使われている羊羹も、中国からの伝来当初は羊肉などを入れた煮こごりだったという。