「夫とはしばらく会えないな」

 「あの日」つまり昨年の3.11の地震を都内の官舎で経験し、自衛官の妻がすぐに思ったことだった。

 「余震の中、戦闘服を抱え転がるように官舎から飛び出し、駐屯地に向かう休暇中の自衛官たち。小さな子供を抱き、笑顔で見送る妻たち。今でも鮮明に覚えています」

 拙著『日本に自衛隊がいてよかった 自衛隊の東日本大震災』を読んで下さった方からいただいたはがきに記されていた、さりげなく書かれたひと言であるが、目の覚める思いだった。

自衛官を支えている母や妻たち

 この他にも、自衛官の妻たちと直接お話しする機会があったが、聞いてみると、驚くほどの「覚悟」で、この震災を経験したことが分かる。

 「官舎の庭に奥さんたちが集まって焚き火をして、焼き芋を子供たちに食べさせました」

 「暖房が使えなかった間は、窓にダンボールなどを張り付けようということになって、みんなで突貫工事をしたんです」

 不安な様子を見せることは夫の負担になると誰もが知っている。それに、これまでも「初めて子供が熱を出した時」「肉親が急病で倒れた」など、一番そばにいてほしい場面でも「演習中で連絡も取れないなんてザラでしたから」ということで、同じ境遇にある妻同士が連絡を取り合い、力を合わせてきた。

 この凛とした女性たちの力なくしては、あの精強な自衛隊の姿もあり得なかったと言ってもいいかもしれない。

 また、震災当時、航空自衛隊に入隊したばかり、自衛官1年生(当時)の母上からも、ご子息に伝えたいこととして手紙を頂戴した。