巷では、ネット上やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でのプライバシー保護についての議論が盛んだ。

 SNS会社の関係者と話をすると、彼らは一様に「ネット上のプライバシーという概念そのものがすでに古い」と語る。

 誰もが自分に関することをすべて公開すれば、他人の生活にある「秘密性」やプライバシーそのものが消える。結果、誰もが持つ他人の生活の隠れた部分を知りたい、もしくは暴きたいという願望そのものが消える、という。

 また、何もかも公開されれば、人は世間の目を気にするため、清廉潔白な人生を送ろうとし、長期的に見ればよりよい社会に貢献する、という。

 もちろんこの意見は、クレジットカードの悪用や、不正に得た個人データの流用など、犯罪性のないプライバシー保護についてのみである。

 にわかには賛同しかねる見解だが、SNS経営者及び関係者は、本気でそう信じている。それが次世代の人間関係だと考えている。

 「最初は自分の何もかもをさらけ出すのは怖いけど、一度公開してしまえばどうってことないですよ」とSNS関係者の1人は語った。

連日24時間、ビデオカメラで生活を公開

 彼らの話を聞いた後、およそ10年前にニューヨークで行われたアーチストたちによる「プライバシーがない生活」実験に思いを馳せた。

 正確な実験の名前は「Quiet:We Live in Public(静かに:我々は公衆の中で生きる)」という。90年代のドット・コム・ブームで、巨万の富を得た青年実業家が私財を使って行ったプロジェクトだ。

 ジョッシュ・ハリスは、30代で「シュード・ドット・コム」というウェブカメラを使ったネット版テレビ局を設立し、数十億円という資産を得た。彼は、当時ニューヨークを中心にバブルを迎えていたIT業界の青年実業家の代表的存在で、メディアの寵児だった。