野田内閣が改造され、いよいよ始動となった日、テレビ画面の向こうに眼帯をした首相の姿が映った。

 私はそれを見て、歴史上のある有名な人物を思い出した。イギリスの名将ネルソン提督(1758~1805)だ。1805年のトラファルガー海戦でフランス・スペインの連合艦隊を破り、ナポレオンによる英国本土への侵攻を阻止したその人物である。

ネルソンはなぜ「メダル」にこだわったのか

 ネルソンは36歳の時、コルシカ島の陸上戦闘で右目を失明していた。その後の戦闘では右腕を切断。しまいには隻眼・隻腕の提督となってしまっていた。

 2列縦陣で敵艦隊のど真ん中に突っ込んでいく、いわゆる「ネルソンタッチ」は大胆な戦法として知られるが、ネルソンは私生活も大胆と言おうか純粋と言うべきか、恩人の妻に一目惚れし、その夫婦の家に同居するという奇妙な三角関係を続けていたことでも知られている。

 しかし、部下からの人望は厚かった。トラファルガー海戦で戦死した際は、部下が遺体をラム酒に漬けて英国まで運び、ネルソンを慕っていた水兵たちが「提督にあやかりたい」と、そのラム酒を飲み干してしまったという逸話もある。

 なぜ、それほどまでに人気があったのかというと、とにかく部下思いだったのだ。

 戦いを終えてロンドンに着くたびに、自分のことは後回しにしても、兵士たちのしかるべき給料獲得や保障のため、自ら政府との交渉に奔走した。

 上司からの覚えは決して目出度くはなかったが、そんなことはどこ吹く風で、唯一の夢は「海軍広報紙の1面に名前が出ること!」だと、いつも口にしていたというから、まるで子供のような無邪気さだったようだ。

 そして、部下思いの彼が強くこだわったのは、記念メダル(記章)だった。戦いに勝利した時にもらえるもので、将官が金メダル、将校が銀メダル、水兵や海兵隊員は銅メダルかホワイトメダルを授与されることになっていた。