刑務所に10年ほど服役した人は出所する直前に、娑婆に出られる喜びを感じる人もいるが、逆に激しい恐怖感に襲われる人も多いという。

 私は1年の海外放浪を終える頃には重い帰国恐怖症に陥っていた。カネを使い果たした無職の中年が、空前の不況と言われる日本社会で果たしてやっていけるだろうか。私は胸が押しつぶされるような云い知れぬ不安にさいなまれていた。

 以前、借りていた日本橋のマンションは渡航直前に引き払っていたので、実家に厄介になる。中年になって親に寄生している己の不甲斐なさと、社会と自分自身の距離を思うと座りが悪い。人に会う気もせず、働く気にもなれない。中年にして初めて引きこもりの気持ちを実感する。

 帰国してから2カ月は、ただブラブラして過ごしていたが、以前からの知り合いの出版社の社長が幸い声をかけてくれたので、そこの編集の仕事をすることになった。おかげで、どうにか食べていけることにはなったが、出版業界の逆風は渡航前よりもさらに強くなっているという現実に直面し、生きていく環境は依然、厳しいままだ。

 3カ月ほど死にものぐるいで働いて2冊の本を仕上げ、一息ついた頃、数年前に担当させていただいた著者から「北朝鮮に行くけど、よかったら一緒に行かないか?」とのお誘いをいただき、カバン持ちとしてお供することになった。

渡航歴を表すスタンプをパスポートに押さない国

 北朝鮮の正しい国名は朝鮮民主主義人民共和国である(そこで、以下、「北朝鮮」ではなく「朝鮮」と呼ぶ)。

 日本と地理的には近いが、日本との間には拉致問題、核開発、植民地時代の精算など、多くの難しい問題が山積している。現在、国交はなく、日本人は招待状がないと朝鮮に入国することができない。

 今回、私たちの入国に際して必要な手続きは、添乗をしてくれる趙さんが代行してくれた。趙さんは日本で生まれ育った在日3世。日本の有名大学を卒業している秀才である。

 北京の朝鮮大使館でビザが下りたので、まじまじと見ると、通常、ビザはパスポートにのり付けされるが、朝鮮のビザは本人の写真付きの紙がパスポートに挟まっていた。