今年ももう12月。年齢を重ねるにつれ、年月が過ぎるのは早くなるばかりだ。とりわけ今年は、あまりに急激な世界の変化についていけず、あっという間に過ぎてしまった感がある。

 JBpressの今年1回目のコラムで、「2012年は、日本を地理的にそして政治経済的に取り巻く多くの国のトップが交代する。米国、ロシア、中国、台湾、フランスそして金日成生誕100年となる北朝鮮もその可能性が高い。そんな世界の地殻変動への対策を着々と行っていくことが、今年2011年の持つ意味なのだろう」と言い切っていた私にとって、予想だにしなかった激動の年2011年を、今月は振り返っていきたいと思う。

正月早々、主役となったアラブ世界

チュニジアの経済はこんな観光資源に支えられている

 正月早々、ニュースの主役となったのは、アラブ世界だった。

 これまで、英仏米露イスラエルがらみの血みどろの戦いか、恋愛命、見てくれ勝負のキャリアウーマンたちが『セックス・アンド・ザ・シティ2』(2010)で満喫した「スタイリッシュな」アブダビでのリゾートライフのごとき産油国の金ピカ生活ぐらいしか話題に上ることのないこの地域で、珍しく無名の大衆にスポットライトが当てられたのだった。

 そんな中でも影が薄い北アフリカの小国チュニジアでモノ売りをして細々と日々の糧を稼いでいた若者が警官から受けた理不尽な扱いに抗議し焼身自殺したのがことの始まりだった。

 イスラム教では自殺は罪。にもかかわらずそこまで追い込んだ当局の横暴ぶりに大衆の怒りが爆発、政府への抗議デモは見る見るうちに膨張していった。

 御しきれなくなったベン・アリー大統領は、長いこと握って離さなかった大統領の座を懸けた次期選挙に不出馬を表明。

 インターネットや言論の自由を拡げるなど、それまででは考えられない程の譲歩を見せたことも意外だったが、それでも騒動が沈静化しないと見るやわずか半月余りで尻尾を巻いて国外に逃亡してしまうという、あまりにあっけない結末にはア然とさせられた。

 それでも、チュニジアのような小国でのことならば、分からぬこともない。