私と牧野茂雄氏は、2008年の初夏から夏にかけて、ある問題について検討した。今回はその時にまとめたアウトラインとしてのメモをそのまま再録する。

 今から2年弱前、リーマン・ショックに端を発した世界バブル崩壊にも、まだ少し間があった。そんな時期に書かれたメモである。それを頭に置いたうえで読み進めていただければ、と思う。

 そのタイトルは「トヨタが『普通の会社』になる日」。

 トヨタ自動車が自動車ビジネスの「巨人」として世界に君臨するまでになった。経済関係者はもちろん、メディアも一般の人々も、そしておそらくはトヨタ内部の人々も、その強さを疑ってはいない。しかし、それが足元から崩れる可能性は既にトヨタ自身の中に潜み、刻々と膨らんでいる。そこに警鐘を鳴らすべき時期に来ているのではないか。その「負の可能性のシナリオ」を、蓋然性の高いところから順に語ってゆくとどうなるだろう・・・。

 そういうメモである。

 あれこれ前置きを続けるよりも、まずは読んでいただいた方がいいだろう。メモの文章は掲載するに当たって読みやすさを考慮し、若干手を加えたが、シナリオの内容自体は2年弱前に描いたもの、そのままである。

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【シナリオ1】 中国メーカーの台頭

◆ 201X年、中国が自動車産業全てを国内企業化することを決定。
外資には出資分を返還し、生産設備など一切を残したまま撤退を求める。

◆ 中国から、既成のモデルあるいはその内外観だけリニューアルしたモデルが、品質、信頼性などはほぼ先進国メーカーのレベルを保ったまま、圧倒的に安い価格で輸出されてくる。

◆ 米国で現在、被服、靴、装飾品などで実施されている「ウォルマートモデル」の自動車版が動き出す。GM、フォードは「ブレッド&バター」カー(注:日常使いの実用車)のほとんどを中国調達に切り換える。新しい大規模ディーラーチェーンが動き出す可能性もある。

◆ 世界中でトヨタを買っている人の半分以上は、「トヨタだから」「トヨタを信じて」買っているわけではない。製造品質に問題が少なく、見た目や装備がそれなりに良く、後は費用対効果がリーズナブルだからトヨタに落ち着いている。価格がさらに安く、パワーセンターで衣服やDIY的家事消費財(例えば芝刈機)を購入する気軽さでクルマが供給されるシステムが動けば、トヨタでなければならない必然性はない。

◆ トヨタも価格切り下げを繰り返して対抗するが、労働コストの圧倒的な差から、利益がみるみる減ってゆく。

◆ 実は「クルマなんて、何だっていい・・・」という意識、感情が発生し、浸透している(日本はもちろんだが、特に米国を主とした世界的に)。元凶は「トヨタ流クルマづくり」にある。新車や次世代技術などを発表する時、「走る楽しさも・・・」と取ってつけたように最後に付け加える。クルマは、なぜ20~21世紀の工業消費文明をドライブする「欲望の商品」たり得たのか? その根源的な「何か」がそこにあるのだが。トヨタはそういう哲学論議が極端に苦手である(企業としても、一人ひとりの社員においても)。