創業は450年前までさかのぼり、千利休の茶釜を作ったとされる由緒ある鋳物製造会社の鍋屋バイテック会社(岐阜県関市)は、およそ従来の製造工場の3K的イメージからは程遠い。

社長の笑顔をきっかけに3K工場が活気あふれる場に変わった

 工場内は美しく機能的に整備され、作業服ではなく制服代わりのカラフルなトレーナーやポロシャツ姿の若い社員がはつらつと働いている。女性の姿も多い。

 豊かな森に囲まれた公園のような敷地内には、プール、美術館、フィットネスジムなどが設置され、いわゆる3Kの典型であった旧来の鋳物工場の面影はない。ちなみに同社では「工場」ではなく、「工園」と言う。

 工場+公園からの造語だ。現在は鋳物製造技術を活かしたVベルトプーリー(産業用機器に使われる、断面がV字型のベルトをかける滑車)を主力に、特殊ネジや小型精密軸継手などの製造を行っている。

 社員数380人、売上高70億円超の中堅企業としては、全国的な知名度を得るまでに成長している。そのため、会社見学の申し込みがひっきりなしに飛び込んでくるという。

 そうした注目企業が、経営改革以前は典型的な3K工場だったという。それを現在のようなスタイルに変革させた第一歩は、岡本太一会長(当時社長)の現場での笑顔だった(岡本会長は昨年、お亡くなりになりました)。

社員を変えた第一歩は、語りかけることだった

 今から36~37年前、岡本氏が社長として経営を引き継いだ時には、従業員数90人に満たない規模の企業であった。午前中の仕事が終わり、従業員が鼻をかむと紙が真っ黒になり、天井に開いた穴から差し込む光がほこりに反射して見えるほど作業環境は悪かったという。時間を知らせるサイレンが響くのを聞きながら、岡本氏はまるで刑務所のような工場だったと笑う。

 当時、岡本氏が組織を変革させるべく、従業員に生産性を上げようと説いたことがある。しかし、ある従業員の答えは、「私は頭が悪く、字が書けないからこの会社に入った。それなのにあなたは私に字を書かせるつもりなのか」ということだった。能力向上、生産性向上どころではなかった。話し合いもおぼつかない。

 そこで岡本氏が始めた行動が、「笑顔で現場を見て回ること」だった。現場を見て回り、従業員に経営者自ら率先して挨拶する。社員全員の名前を覚え、家族構成を頭に入れた。そうして家族のこと、身の回りのことなど、たわいもない話題を、一人ひとりに話しかけていった。

 そのうちに、生産性向上には反対していた社員からも笑顔が返ってくるようになる。挨拶も返ってくる。これが第一歩だった。

 次に岡本氏は「トイレをきれいにしよう」と持ちかける。「食堂をきれいにしよう」と言う。「服装をきれいにしよう」と話しかける。決して「やれ」とは言わない。ニコニコと笑いかけながら、「やろうよ」と声をかけていく。その声に、1人、2人と動きはじめ、工場内は、次第にきれいになり、整頓されていった。